グレン・フライ死去。イーグルス解散の原因ともなったドン・フェルダーとの不仲はそのままだったのか

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イーグルスの創設者の一人のグレン・フライが2016年1月28日に
様々な病気による合併症により亡くなりました。まだ67歳の若さでした。

イーグルスは「ホテル・カリフォルニア」などの
ヒット曲でとても有名なアメリカのバンド。
1972年にデビューしたイーグルス。
そして1976年に前述のホテル・カリフォルニアでグラミー賞
最優秀レコード賞を受賞し1970年代を代表したバンドなだけに
突然の訃報で驚いています。

■グレン・フライの略歴

1970年にドン・ヘンリーと出会い、1971年にイーグルス結成。
イーグルスではグレン・フライはギター・キーボード・ボーカル担当。
グループの代表作の多くをヘンリーとともに作曲。

爆発人気のきっかけとなった「テイク・イット・イージ-」や
「過ぎたこと」「いつわりの瞳」「ニュー・キッド・イン・タウン」
「ハートエイク・トゥナイト」など数多くの曲でリードボーカル担当。

1982年にイーグルスが解散した後もソロアーティストして成功を収める。
映画ビバリーヒルズ・コップの主題歌
「The Heat is On」などのヒット作が有名。

イーグルスのメンバーとしてグラミー賞を6回
アメリカン・ミュージック・アワードは5回受賞。
イーグルスとして、ソロとして合計24曲をヒットチャート上位に食い込ませた実力者。

1994年にイーグルスを再結成し
1998年にはイーグルスとしてロックの殿堂入りを果たした。

日本でも音楽ファンなら聞いたことがあるほどのアメリカのバンド。
何故か傑作を作ったバンドはすぐに解散してしまう傾向がありますよねぇ…。
再結成はしましたが。

■イーグルス解散の理由とは?

これは詳しく書いてある本があります。
それはドン・フェルダーの自伝「天国と地獄、イーグルスという人生」です。

本の冒頭の謝辞で、いきなり
ドン・ヘンリーとグレン・フライ以外のメンバーに感謝を述べています。
この時点で「ああ…、確執があったんだな」と察することができるというか。
1994年の時にイーグルス再結成の際も2000年に突然バンドを解雇されているんですね。
その理由がバンドに貢献していない、ということでした。

…というのは建前で、音楽的なことではなく
グレン・フライとドン・ヘンリーがすべての決定権を握っていて
他のメンバーはアルバムに関してもツアーに関しても口出しできない状況だったようです。

そんな状況に不満を言ったから解雇された、というのが書かれています。
具体的に言うと再結成されたイーグルスでは
グレン・フライとドン・ヘンリーが他のメンバーの倍の報酬を受け取っていたそうです。
グラン・フライとドン・ヘンリーの二人がそれぞれ報酬の七分の二。
残りの三人が残りの七分の一ずつを受け取るという形になっていたという。
天才はやはりそういう部分があるのかなぁという気もします。
そういう部分を前面に出していかないと成功しない世界なんだろうなぁ。

■グレン・フライとドン・フェルダーの関係のその後

2000年に解雇されたことでドン・フェルダーは
解雇の撤回および報酬分配の見直しを求めて

グレン・フライとドン・ヘンリーを告訴します。
結局2006年に示談は成立しました。
…が、ドン・フェルダーは結局イーグルスに復帰せず。

やはりまだ確執があったままのようです。
暴露本としての自伝を出したのも2010年ですしね。
示談成立後の本の謝辞でグレン・フライとドン・ヘンリー以外のメンバーに
感謝を告げているのでやはりまだ確執はそのままなのでしょう。

代表作と言われているホテルカリフォルニアも
実はドン・フェルダーが作ったほぼ完成形のデモテープに
ドン・ヘンリーが詞をつけたものでそうです。

そこらへんでやはり不満がたまっていたんだろうなぁ…。
しかしあくまでも自伝からの情報がほとんどで

グレン・フライとドン・ヘンリー側からの話は聞かないんですよね
なので片方からの話を聞いて決めつけるのも良くはないんです。
しかしグレン・フライが死去してしまい

グレン・フライの口から解散の裏話を聞くことは出来なくなってしまいました。
フルメンバーのイーグルスを見ることもできなくなってしまいました。
そのことが残念でなりません。

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