片山さつきの舛添要一との離婚理由が凄い。夫・片山龍太郎とは1年後再婚

若い頃に舛添要一と見合い結婚をし
そしておよそ3年後に
離婚をした片山さつき
なかなか離婚理由が凄いものがあります。

離婚をして1年後の1990年には
現在の夫・片山龍太郎と
結婚をしています。

今回は片山さつきと舛添要一の
離婚理由についてみてみましょう。

 

■片山さつきと舛添要一の結婚の経緯

片山さつきと舛添要一は見合い結婚です。
片山さつきは当時27歳。
東大法学部卒業後に
大蔵省(当時)に入省した
女性初の主計官として
注目を集めたエリートです。

当時はそのぐらいの年齢になると
恋愛の期間がなくても
見合いで結婚をするのは普通だと
片山さつきは考えており、

役所自体もそのような
保守的な空気が強かったため
見合い自体には何も
問題視していませんでした。

そして片山さつきは舛添要一の前にも
見合いをしていましたが
片山さつきは結婚をしても
仕事が続けたかったために
見合いはうまくいっていませんでした。

そんなときに大蔵OBの元労働相、
近藤鉄雄に紹介されたのが舛添要一。
当時東大助教授であった舛添要一は

片山さつきのその結婚をしても
仕事を続けたいという言葉に好意的で
同期や教え子に官僚がいるため
生活パターンは熟知していて
遅くなっても構わないとまで発言。

そのため片山さつきは舛添要一は
仕事と家庭、両方
を支援してくれる人物だとして
結婚を決意します。
 

■片山さつきと舛添要一の離婚理由

しかし結婚前に舛添要一は片山さつきに
相談もせずに夕刊紙の記者を連れてきて
結婚話を一面で報道させます。

片山さつきが関係者へ
挨拶するよりも早く
ニュースで報じられてしまい、
片山さつきには結婚前か
ら少し違和感があったようです。

そうして結婚してからすぐに
舛添要一は豹変し
遅く帰ってきた場合に怒鳴り、
物を投げつけるなどDVをするように。

そうして夜に浦和市
(現・さいたま市)の実家に
タクシーで戻って避難。

3ヶ月で離婚を考え弁護士に相談をしますが
そのときに舛添要一には愛人がおり
子供を妊娠中だったことが判明。

離婚理由としては
DVということになるのでしょうか。
愛人がいて不倫をしたことについては
片山さつきは既に
何も感じなかったと答えています。

そうして離婚が成立したのは
結婚の2年3ヶ月後ですが
時間をかけたのは
世間体を考えてのことだけで
実際には半年も同居をしていませんでした。
 

■おわりに

そうして片山さつきは
舛添要一と1989年に離婚をして
現在の夫・片山龍之介と
1990年に結婚をしています。

舛添要一は現在
激やせしているとも言われていますが
今後はまた政界に
復帰などあるのでしょうか。