田部井淳子はがんで余命を宣告されても夫・政伸の支えで登山を続けていた

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女性で初めてエベレストや七大陸最高峰の登頂に成功した田部井淳子
がんで余命を宣告されても登山を続けている、根っからの登山家です。
そんな田部井淳子を支えたのは夫、政伸。

今回は田部井淳子とがん、
そして夫について見てみましょう。


 

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■田部井淳子について

名前:田部井淳子(たべい じゅんこ)
生年月日:1939年9月22日
出身:福島県

田部井淳子は1962年に社会人の山岳会に入会して
登山活動に力をいれます。

そして1969年には女子だけで海外遠征をするということで
女子登攀(とうはん)クラブを設立して
翌年の1970年には7555mのアンナプルナIII峰に登頂成功。

1975年にエベレストに女性で世界初の登頂に成功し
ネパール王国から最高勲章であるグルカ・ダクシン・バフ賞を受賞し
日本でも文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞を受賞しています。

その後は1992念にエルブルス山に登頂したことにより
女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となり文部省スポーツ功労賞を受賞。
その功績をたたえて1995年には内閣総理大臣賞を受賞。
 

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■田部井淳子のがんと余命宣告

田部井淳子は2007年夏に
アルメニアのアラガツ山の登山中に
胸のしこりのようなものに気づきます。

帰国して診察をした結果なんとがん。
早期乳がんであったので
乳房温存手術をして、幸い転移もみられませんでした。

そして田部井淳子は手術の10日後には
バルト三国の登山をしていたというタフさ。

しかし2012年3月には田部井淳子はがんに再度かかってしまいます。
今回は早期ではなく、がん性腹膜炎で、ステージ3C。
他臓器への転移もしており、余命は三ヶ月であると宣告されてしまいます。

しかし病気になっても病人にはならないとのことで
抗がん剤で治療をする中登山をtう付けていました。

■田部井淳子の夫の支え

田部井淳子の夫は2歳年下の政伸さんで、
田部井淳子が山に登り始めた20代のころに憧れだった山男。
二人の間には2人の子どもがいます。

実は政伸さんはマッターホルンに登頂した際に
凍傷になってしまい足の指を4本切断せざるをえなくなってしまいます。

そのため登山家としての活動は抑え、
田部井淳子の活動をバックアップし
家事や育児をやっていたので、田部井淳子は登山家として
活動に専念ができていたというわけになります。

そして田部井淳子が、がんで余命を宣告された後も
夫が運転手となったりお抱えコックとなったり
田部井淳子を支えながら共に登山をしていたという。

■おわりに

田部井淳子はがんに負けられないとして
余命を宣告され、副作用で足がしびれても夫の支えもあり
登山を続けるだけではなく

講演、そして執筆活動をこなすという
精力的な活動を行ってきました。

そしてそれだけではなく
田部井淳子はエベレストのごみ問題などにも取り組み
山岳環境保護団体の代表にもなっており
2007年には環境大臣賞を受賞しています。

田部井淳子は登山家としてだけではなく
その後のことも考えており
まさに登山家の鏡といえますね。

 

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コメント

  1. TK より:

    悲しい知らせです。山を愛し、自然を愛し、人を愛し、すべてのものを愛した人。いつも笑顔を絶やさなかった人。

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