カシアス内藤はがんで余命宣告を受けたがボクシングジムを経営し息子もプロに

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元東洋ミドル級チャンピオンであるカシアス内藤
2004年にステージ4の咽頭がんで
そのままでいれば余命三ヶ月とも言われるほど危険な状態でした。

しかしカシアス内藤はそんな状態から
現在も生存をしてボクシングジムを経営し、
息子もプロとなっています。

今回はそんなカシアス内藤についてと
息子とボクシングジムについて見てみましょう。


 

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■カシアス内藤について

名前:カシアス内藤(カシアス ないとう)
本名:内藤純一(ないとう じゅんいち)
生年月日:1949年5月10日
出身:兵庫県神戸市

カシアス内藤は黒人のアメリカ兵の父と
日本人女性を母に持って生まれたハーフ。

神奈川県の武相高校でボクシング部に入部して
インターハイに出場して
ミドル級の高校チャンピオンともなっています。

名トレーナーである恩師エディ・タウンゼントの指導を受けて
1970年、20歳の頃には日本ミドル級チャンピオン
1971年、21歳には東洋ミドル級チャンピオンとなり
和製カシアス・クレイとまで言われます。

しかし1974年には一時表舞台から姿を消して
1978年10月に復帰するものの
1979年末に現役引退を発表します。

私生活では元嫁が病気で先立ち、
娘1人を男で一つで育てた時期も。
1971年には再婚をして
息子2人が生まれています。

また、カシアス内藤は沢木耕太郎の
「一瞬の夏」に主人公として登場しており
アリスの名曲「チャンピオン」のモデルでもあります。
 

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■カシアス内藤のがん

カシアス内藤は2004年に咽頭がんの
ステージ4であることが発覚し
手術をすれば延命はできるものの

そのためには声帯の付け根にあるがんを
取り除かなければならないため
声が出なくなる可能性があります。

しかしカシアス内藤は表舞台に一時復帰した時に
御出有るエディ・タウンゼントと
自分でボクシングジムを持つことと
チャンピオンになることを約束していて

カシアス内藤は声がなくなったら
ボクシングを教えることは出来ないと考えており
がんの根治は出来ないものの
がんと小さくして共存をする、放射線化学療法を受けます。

がんを放射線治療して
喉が焼けて痛みがあっても
体力を維持するために痛みを押して間食をし
25回にも及ぶ治療の末
がんは1/4以下に縮まります。
 

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■カシアス内藤のボクシングジム

恩師であるエディ・タウンゼントとの
約束であるボクシングジムの名前は
「E&Jカシアス・ボクシングジム」

Eは恩師エディ・タウンゼントのイニシャル
Jはカシアス内藤の本名である
内藤純一のイニシャル、J。

ボクシングジムを作るきっかけはがん。
カシアス内藤は自分が長くないと言われて
行きているうちに約束したことをいけないと思い
2005年2月に開設をしています。

前述のノンフィクション作家・沢木耕太郎が
このボクシングジムの開設を応援して
広くカンパを募ったりとサポートをしたという。

■カシアス内藤の2人の息子もプロへ

カシアス内藤は1991年に再婚した嫁との間に
二人の息子がおり、2011年9月30日には
長男の内藤律樹がプロデビュー。

2014年2月には第45代日本スーパーフェザー級王座となり
防衛に三回成功しており
父子日本チャンピオンとなっています。

また、2016年11月には次男の内藤未来が
プロデビューをしています。
2014年前までは120キロもあったものの
プロデビュー時には61.1キロと
ものすごい減量をしています。

■おわりに

カシアス内藤の息子達はカシアス内藤のがんで
大きく人生が変わったと言えるのかもしれません。

カシアス内藤の長男、
内藤律樹がプロボクサーとなったのは
2005年のボクシングジム開設に
奮闘するカシアス内藤の姿を見たため。

弟の内藤未来も兄が
チャンピオンになったために
プロボクサーとなるのを目指したわけですし。



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