辻本賢人は現在は翻訳家となっていた。父の事でも心労はあったか

父がファッションブランドのザ・リアルマッコイズの社長である辻本賢人
ドラフト史上最年少の15歳でタイガースに指名されたものの
在籍中はあまり目立った活躍ができませんでした。

そして現在は何をしているのかというと
翻訳家として働きつつマイナーリーグに参戦をしています。
今回は辻本賢人の現在について見てみましょう。

 

■辻本賢人について

名前:辻本賢人(つじもと けんと)
生年月日:1989年1月6日
出身:兵庫県

父はファッションブランド、
ザ・リアルマッコイズの社長である辻本仁史。

中学一年生の時に単身渡米し、
ネブラスカ州オハマのチーム
「ペースセッター」で全米大会に出場。

2004年にカリフォルニア州でに9年生課程を修了し
秋のドラフトでタイガースに15歳ながらも指名されました。

しかし5年間在籍したものの故障などもあり
一度も一軍で登板すること無く
2009年10月には戦力外通告を受けてしまいます。

2009年11月の合同トライアウトにも
辻本賢人は参加はしましたが結果は

ストレートの最速は15歳の頃の最速である
142kmから落ちてしまい
134kmで、変化球は100km少し。
関係者の感想としては以下の通り。

「フォームがバラバラ。一から直さんといかん」
「球が遅い。都市対抗で使えるかどうか」
「珠が遅すぎる。話題性は有るけどフォームが問題」

辻本賢人は15歳という若さでプロに入ってしまったがために
小さくまとまってしまったのではと言われています。

各年代で試合に出ながら
成長できれば良かったけれど
周りが全部プロであったのが
マイナスに働いてしまったのでは、という。
 

■辻本賢人の現在

そして2010年11月のいトライアウトの結果はあまり芳しくなく
20歳であったものの現役引退の二文字が頭をよぎっていたという。

そのため辻本賢人は思い切って中学時代に過ごしたアメリカに渡り
腕の位置をサイドスリー気味に下げたフォームに変え、

球速が143kmまで戻ったことでアメリカの独立リーグである
ゴールデンベースボールリーグのトライアウトでは
ハワイのマウイ・イカイカからドラフト一位指名。

そしてタンパベイ・レイズの入団テストを受験し
レイズは不合格になったものの
ニューヨーク・メッツとマイナー契約を勝ち取り
2011年3月に正式にマイナー契約を結びました。

2013年にはメッツを辞め、辻本賢人は
現在は翻訳を仕事にしているという。
野球のことに関しては全てはやりきったと語っています。

■おわりに

2007年5月に辻本賢人の父は
自分の会社事務所で倉庫を貸していた男性に
脅迫暴行をしたとして逮捕されています。

そのようなこともあり辻本賢人は
野球だけに専念できる環境ではなかったとも言えますし

辻本賢人を15歳でとったものの
故障が多かったとは言え20歳で放り出すというのも
なんだかちょっと厳しくも感じます。

15歳というイレギュラーな年齢に合わせた育成法が
確立していない状態だったわけですし
もう少し長い目で見れば辻本賢人は現在も
第一線で活躍していたのかもと思うと何とも言えない。