生田悦子の今はなくなっていた。闘病生活を送っており徹子の部屋で…

更年期うつで闘病をしていた生田悦子
そんな生田悦子の今が注目されていますが
虚血性心不全にて都内の病院で
なくなっていた事が明らかに。

実は生田悦子は2018年4月には
徹子の部屋にて
自らの最後について
語ってもいました。

今回は生田悦子の闘病と
今はなくなっていたことが
発覚したこと、
徹子の部屋で語ったことについて
見てみましょう。

 

■生田悦子について

https://twitter.com/tokimeki_web/status/704488690412818434

名前:生田悦子(いくた えつこ)
生年月日:1947年4月8日
出身:福岡県福岡市

生田悦子は1963年に準ミス平凡に。
そして1966年に松竹株式会社に入社し、
「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で
良いOLとして活動をしていました。
2005年4月6日には夫と結婚をしています。

■生田悦子が闘病を告白

そして生田悦子は2006年12月には
更年期うつによる闘病生活を
送っていたことを告白。

生田悦子がうつ病になったのは40代。
手とか足が痛くなり、
上がらなくなってしまいます。

そのうち目眩もするようになり、
つまらないことで
イライラするように。

更には夕暮れ時になると
寂しくなり時報を耳にすると
涙が出るなど精神状態が不安定に。

そして51歳の時に生田悦子は
母親を病気でなくしてしまいます。
最後の瞬間も会えず後悔。
家族との別れによりうつ状態に。

そして闘病生活中には
以下のような症状が起きたとのこと。

■セリフ覚えが悪い。
2-3行のセリフが入ってこない。
そのため仕事は減らしていた。

■歩道の真ん中を歩けない。
誰かに見られているような
気がしたため。

■顔も発汗するように。
■トイレも近くなった。

生田悦子はそのような症状に苦しみ
最初は大学病院の内科にいったものの
当時は更年期うつなどの
理解があまりなくあまり
良い対応は得られませんでした。

そんな生田悦子の闘病を
支えてくれたのは
マネージャーの高山尚之さん。

更年期やうつに詳しく、
カウンセラーの資格も
持っている人物。
全て受け入れてくれたとの事。

また、近所の内科に行った時に
「辛かったですね」と
院長が理解を示してくれて
それが転機であるとも語っています。

そのような事を生田悦子は
同じく更年期うつを
患っていた黛ジュンと
2015年1月28日に
NHKで対談した際に語っています。

 

■徹子の部屋で最後のことを…

生田悦子は2018年4月25日に
徹子の部屋に出演。
今は一人暮らしをしており
人生の最後についても語っていました。

自宅で倒れたら救急車を呼ばれず
そのまま息を引き取ることが
理想であると語っていました。

もし助けられて後遺症を残し、
迷惑をかけながら
生きていきたくはないとも
語っていました。

夫とは現在別居中であり
葬式もしなくて良くて

既に購入をしている墓に
そのまま入れて欲しいとも
語っていました。
 

■生田悦子がなくなっていた

そのように闘病生活を
送っていた生田悦子が
2018年7月15日に都内の病院で
なくなっていたことが明らかに。

生田悦子は2018年7月15日午前に
就寝中の異変に夫が気づき
救急搬送されましたが
そのまま帰らぬ人に。

■おわりに

生田悦子が自宅で倒れた
2018年7月15日には
夫が気づいて病院に搬送されたとの事。

2018年4月放送の
徹子の部屋では別居中であると
語ってもいましたが
少なくとも2018年7月には
同居をしていたよう。

徹子の部屋で語ったばかりの
理想の最後とは
少々違った形になったようです。