サヘル・ローズは重信房子の娘と同日にコラムも。ペルシャ絨毯の経験で…

芸能

イラン出身のタレント、
女優であるサヘル・ローズ

ペルシャ絨毯の織り子として
勤務経験もあるサヘル・ローズは
現在NHK「探偵バクモン」や
「ノンストップいいものプレミアム」
などにレギュラー出演をしています。

そんなサヘル・ローズですが
実は重信房子の娘と同日に新聞で
コラムを書いていたりします。

今回はそんなサヘル・ローズが
ペルシャ絨毯きっかけで
デビューをしたこと、

重信房子の娘と同日に
コラムが書かれた事
などについてみてみましょう。

 

■サヘル・ローズについて

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名前:サヘル・ローズ
ラテン表記:Sahel Rosa
生年月日:1985年10月21日
出身:イラン

サヘル・ローズは生い立ちが壮絶。
1989年にイラン・イラク戦争に
巻き込まれ家が全壊。
13人家族でしたが
生き残ったのは末っ子であるサヘル・ローズ。

その後サヘル・ローズは
孤児院に保護され、7歳になった時に
育ての母であるフローラさんに
引き取られます。

その後サヘル・ローズは8歳であった
1993年に母親とともに来日。
そして1997年にペルシャ絨毯で
ある意味転機が。

■ペルシャ絨毯の織り子の思い出

サヘル・ローズの母親が本来は
ペルシャ絨毯展示会の
織り子実演をする予定でしたが
ダブルブッキングしてしまい
サヘル・ローズが急遽代役へ。

サヘル・ローズはペルシャ絨毯の
織り子はしたことがなく
数日ペルシャ絨毯の折り方を習い
単身実演をしに。

しかしペルシャ絨毯の
展示会の会場の隣はおもちゃ売り場。
サヘル・ローズは魅力に勝てず
昼休みは民族衣装のまま入り浸ってしまい
派遣会社から苦情が入ってしまったという。

この時にサヘル・ローズは母親から
仕事に対する責任感や
お金を得ることの大切さを
説明されて理解。

そしてサヘル・ローズは
手伝いたい気持ちと学校での
イジメから逃れたい思い出
ペルシャ絨毯織り子の仕事を優先。

タレントの仕事をしてからも続けて
24歳くらいまでしていたと明かしています。

■重信房子の娘と同日にコラム

重信房子は日本赤軍の元最高幹部。
そんな重信房子の娘、重信メイは
父親がパレスチナ人でジャーナリスト。

日本政府とイスラエルから
追われていたため
重信房子の娘であるという事は
伏せて生活していたことを
明かしています。

そして生まれてから
28年間無国籍でしたが
2001年に日本国籍を
取得したことを明らかにしています。

そのような生い立ちであったために
重信メイは2017年8月21日に
毎日新聞朝刊の「おとなのしんぶん」にて
「わたしの生き方 母とは違う形で」
という記事を投稿。

サヘル・ローズはこの
「おんなのしんぶん」にて
複数回記事を投稿しており
2017年8月21日にも
「瞳に映る風景 笑わなくてもいい」
という記事を投稿。

ともに中東出身で
同日にコラムを投稿したことで
サヘル・ローズと重信メイの生い立ちが
混ざってしまった人もいるよう。

■おわりに

サヘル・ローズは
ペルシャ絨毯の時の経験で
仕事に対する責任感などを
理解したこともあり

ペルシャ絨毯には比較的最近も
関わっています。