保阪尚希の生い立ちが壮絶…両親は7歳誕生日の三日後になくなり親戚に

新・平成御三家の一人で
現在は通販の部門でも
大活躍をしている保阪尚希

しかし実は生い立ちが壮絶。
両親が7歳の誕生日の3日後になくなり
親戚にも厳しい言葉を
かけられていたことを明かしています。

今回はそんな保阪尚希の
生い立ちについてみてみましょう。

 

■保阪尚希の生い立ち

保阪尚希が最初に
自らの生い立ちについて
ある程度明かしたのは
2007年3月22日。

タイミング的には
1996年に女優の高岡早紀と結婚をし、
2004年6月に離婚してから
少し経ってからということになります。

2007年3月22日に保阪尚希は
都内で会見を開いて
2007年4月12日に出家することを
明らかにしました。

その理由として保阪尚希は
7歳になったばかりの時に
両親が自らなくなったという
生い立ちを明かします。

小学校の時は両親がいないことで
いじめられたこと、
クリスマス会などにも
参加をしたことがないなどと
生い立ちを告白するも
両親を恨んだことはないとのこと。

保阪尚希が出家をすると決めたのは
両親の33回忌供養のため。
 

■詳細を明かしていた

保阪尚希は2018年2月16日に
「金スマSP」に出演。
その時に壮絶な生い立ちについて
改めて明かしていました。

保阪尚希の両親はサラリーマンの父、
主婦で教育ママであった母。
そして4歳下の妹と
祖母の5人で暮らしていました。

しかし保阪尚希が7歳の
誕生日を迎えた
1974年12月11日の三日後、
1974年12月14日には両親が
自ら命をたちます。

普段は保阪尚希と両親は
2階で寝ていたものの、
その日だけは父親から
1階で寝なさいと言われ

翌日起きると多数の警官が
自宅に来ており
祖母が話を聞かれていたという。

そして親戚のおじの家に
保阪尚希と妹は連れて行かれたものの
当時の記憶がなかったとのころ。

そして保阪尚希と妹、
祖母の3人で暮らしていて
保阪尚希は祖母に迷惑をかけないよう
料理や家事を自らしていたものの

両親がなくなってから2年後、
保阪尚希が9歳の時に
祖母が脳溢血で倒れ半身不随に。

その時に駆けつけた叔母が
「あんたが迷惑かけるから」と言われ
自立することを決心。

近所の熱帯魚店に頼み込んで手伝い、
200円の時給をもらい
ハムスターなどを繁殖させ
ペットショップに売却。

中学時代はイタリアンレストランに
頼み込み、シェフが密かに
雇ってくれたという。
 

■そして芸能界へ

そうして15歳の頃に
100万円も貯金をためた保阪尚希。
そのうちの70万円を祖母と妹のために
置いて家を出て、1982年に上京。

そして芸能事務所にスカウトされ、
高校を中退して俳優の道へ。

2000年の元旦に
腹膜炎で内臓破裂をして
生死の境をさまよったことから

現在は健康や食生活に関心を持ち
そのことを活かし通販事業を立ち上げ
現在は年商10億円とのこと。
 

■おわりに

保阪尚希は高岡早紀と
離婚をしていますが
1997年、2000年に生まれた
長男と次男の2人の子供がいます。

そして実は親権は保阪尚希で
養育権を高岡早紀に渡しています。

これは保阪尚希の
生い立ちが生い立ちであり
両親が自分の前から消えてしまうのは
子供にとって良くないと考え、

子供には母の愛情が
必要という思いがあるため。

なので保阪尚希と高岡早紀は
離婚をしてからも
暫くの間同居をし
保阪尚希がいなくなることを
子供たちに理解させています。

また、そんな保阪尚希と
高岡早紀の2人の子供は
現在は二人共ハワイに留学中。

2014年10月17日に
高岡早紀はアナザースカイに出演。
その時に2人の子供も出演。

ちなみに保阪尚希は現在は独身であり
都内の高級マンションで
4匹の犬と共に暮らし、

月に20-30万円のエサ代を
使っているという。
絶対自分より良いモノ食べてる。