兼高かおるが現在なくなる。後輩である徹子の部屋に17年2月出演

兼高かおる世界の旅などで有名な
ジャーナリストの兼高かおる

2019年1月現在、心不全により
東京都港区でなくなったことが明らかに。

兼高かおるは実は黒柳徹子の
女学校時代の先輩。
2017年2月に兼高かおるは
徹子の部屋に出演もしています。

今回はそんな兼高かおるについてと
現在なくなったこと、
後輩である黒柳徹子の冠番組、
徹子の部屋に出演を
したことについてみてみましょう。


 

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■兼高かおるについて

名前:兼高かおる(かねたか かおる)
生年月日:1928年2月29日
出身:兵庫県神戸市

兼高かおるは父親がインド人でハーフ。
黒柳徹子と同じ香蘭女学校を卒業。
もともとは病気がちである兄に
よく医者が来ることをきっかけに
医大への進学を希望。

しかし医大への進学は
意外な理由で断念。

兼高かおるが香蘭女学校に行くために
朝の時間がギリギリの時に走ると
隣にあった医大の窓から
医大性が「走れ!」と応援。

それを見上げて笑ったりしていると
学校のシスターから
「知らない男の人に
愛嬌をふりまくのは風紀を乱す」
ということで兼高かおるの内申書の
評価は低かったという。

そのためスチュワーデスを目指すも
当時は体重15キロ以下、
背が150センチまでと
決まっていたため
長身であった兼高かおるは断念。

最終的にホテル経営を目指し
1954年にハワイ経由でアメリカに
留学をしてロサンゼルス市大へ。

しかし兼高かおるは
寝る間も惜しんで勉強をするなど
無理がたたって検診に行くと
結核があることがバレて帰国。

そのタイミングで兼高かおるは
スカンジナビア航空が主催をする
「世界早周り」に挑戦をし
1958年に世界新記録新記録(当時)を樹立。

このことをきっかけに
1959年には「世界飛び歩き」が開始。
後に「兼高かおる世界の旅」
と名称を変えます。
 

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■兼高かおるが現在なくなっていた

「兼高かおる世界の旅」で
地球を約180週もできるほど
移動をした兼高かおる。

2019年1月5日に心不全で
現在はすでになくなっていたことが
明かされています。

兼高かおるは前述のように
留学の前にも当時の国民病とも言える
結核にかかったことがあり、
また兄も病身で医者がよく
家に来ていたことを明かしてもいました。

また、2016年12月には
関西看護医療大学に
「一般財団法人 兼高かおる基金」を設立し
看護師を目指す人物に就学金を給付。

この理由は過去の結核などが
影響をしたわけでもなく
「若い世代に教えていけば
若い世代はどこでも飛んでいくから
役に立つだろう」という理由であると
明かしています。

また、兼高かおるの資料館の近くに
関西看護医療大学があったため
その縁と「一般財団法人兼高かおる基金」の
目的と合致するという理由もあるとの事。
 

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■徹子の部屋に2017年2月に出演

兼高かおるは2017年2月9日に
徹子の部屋に27年ぶり、
5回目の出演を果たしています。

前述のように兼高かおるは
黒柳徹子の女学校時代の先輩。
徹子の部屋で黒柳徹子が
兼高かおるについては
以下のように語っています。

「兼高かおるは学校のマドンナ」
「みんな彼女のブロマイドをもっていた」

また、兼高かおる卒業後の
OG訪問では黒柳徹子も
見に行ったことを明かしています。

■おわりに

兼高かおるが長寿番組である
「兼高かおる世界の旅」を
降板した理由は
実は母親の言葉がきっかけ。

「この年になってもゆっくり話ができない」
と言われたので31年続いた番組を降板。

また、兼高かおるは母親を
世界旅行に連れて行ったりも。
ちなみにその時に母親が
一番楽しかったことは
「晩のおかずを考えなくて済んで良かった」
と答えられたとのこと。

兼高かおるは2017年2月には
徹子の部屋にも出演し、
他のメディアなどにも登場していましたが
なくなったことが発覚した現在までは
殆ど情報がありませんでした。

2018年10月には
ツアーグランプリ2018審査委員会の
審査委員長として
企画旅行の審査をしてはいたりは
していたようですが…。



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