河野博文は現在玉ねぎ農家。過去に失踪騒動や嫁ががん等波乱万丈な人生

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1984年の日本ハムで
ドラフト一位入団の
げんちゃんこと河野博文

過去には突然失踪をして
連絡が取れなくなった
有る意味伝説の失踪騒動を
起こしていますが

現役引退後には嫁を
がんでなくしています。
そしてその後河野博文は
玉ねぎ農家となり会社を設立。

現在は玉ねぎ農家として
大成功を納めていたりと
波乱万丈な人生を送っています。

今回はそんな河野博文が
現在玉ねぎ農家であることと、
過去に起こした失踪騒動と
嫁ががんでなくなったことについて
みてみましょう。


 

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■河野博文の失踪騒動

河野博文が失踪騒動を
起こしたのは1990年8月。
当時日本ハムであった河野博文は
突如として失踪し、
球団にも連絡がつかない事態に。

1990年10月31日には河野博文は
球団事務所に現れて
疾走した理由が判明。

河野博文は1990年5月末に
試合前に遊んでいた所
左アキレス腱を断裂し全治6ヶ月に。

リハビリも含めると一年近くは
試合に出ることが出来ないため、
球団は支配下登録選手を
減らすためにも
便宜上任意引退とします。

そして河野博文は
任意引退=クビと思ってしまい
野球ができなくなったことに絶望し
何も告げずに知人の家に
行っていたという。

ちなみに河野博文の失踪は
1990年10月31日まで
外部には漏らしておらず、
さすがにこれ以上は限界だということで
河野博文が疾走していることを公表。

河野博文が失踪したと
公表されてから10時間後に
河野博文は親につれられて
姿を表したという経緯。
 

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■河野博文の嫁ががんに

河野博文の嫁は2004年に
乳がんの手術をしていました。
そして2007年の冬頃には
骨盤に癌が転移していることが発覚し
抗がん剤治療を開始。

2000年に引退をしていた河野博文に
そのタイミングで
「群馬ダイヤモンドペガサス」から
投手コーチの誘いがあり、

がんの嫁を残して単身赴任など
許されるのだろうかと苦悩し
嫁にその話を打ち明けると

嫁は行ったほうが良いと
河野博文を後押し。

2008年1月には河野博文は
コーチに就任して高崎市へ。

球団の休みには嫁がいる
川崎に帰るという生活を
おくっていましたが
2009年7月中旬には嫁のがんが
腎臓にも転移をしていることが発覚。

そして河野博文は嫁の元に行き
入院をしてから2周間後、
2009年8月2日に
河野博文の嫁は帰らぬ人に。
 

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■河野博文は現在は玉ねぎ農家

その後河野博文はを
がんでなくした事に、
元西武選手の野崎幸一から
農業をしないかとさそわれ農業の道へ。

嫁が現役事態に食事に
気を使ってくれたことも
影響しており
農業の道は河野博文に
合っているよう。

2012年に本格的に玉ねぎを40トン作るも
売る場所がなくて
泣く泣く20トンの玉ねぎを廃棄。

きちんと玉ねぎを売る場所を
決めないといけないという思いから
河野博文は2013年8月には
前橋市内に「げんちゃん」という
食品加工会社を立ち上げ。

河野博文自らが栽培した
玉ねぎを使った冷凍ギョーザなどを
2013年10月からネット販売するように。

2015年8月には
河野博文は玉ねぎ料理がメインの
「居酒屋げんちゃん」もオープン。

ちなみに2018年現在の年商は3000万。
長嶋茂雄にも玉ねぎを
注文してもらっているとのこと。

また、2016年10月には
河野博文の玉ねぎが
農林水産大臣賞を受賞しています。

■おわりに

河野博文は現在は玉ねぎを
たっぷりと使った
レトルトカレーも開発中。
東京に出るという目標や

インドネシアで燃料にもなる
イモにも出会ったことなどを語っており
まだまだ河野博文は色々なことに
挑戦をしているようです。



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