美川憲一は逮捕歴の真相を近年に激白。立ち直ったのは2人の母のおかげ

芸能

「さそり座の女」などを筆頭に
数々のヒット曲を生み出した美川憲一

薬の所持により二度の逮捕を経験しており
近年にはその逮捕歴の
真相を激白しています。

そして立ち直った事は
2人の母のおかげだとも。
そんな美川憲一が
オネエキャラとなったのも
実は2人の母のおかげ。

今回はそんな美川憲一の逮捕と
「美川憲一」というキャラクターの形成と
逮捕からの立ち直りに
大きく影響をしている
美川憲一の二人の母との関係について
みてみましょう。

 

■美川憲一の逮捕歴

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美川憲一は1977年10月、31歳の時と
1984年に薬の所持で逮捕をされています。
この時の薬による逮捕については
美川憲一本人が近年真相を激白。

実は美川憲一が薬を手に入れたのは
たまたまで、貰っただけ。

最初は興味本位で眠るために使ったものの
美川憲一は自分には合わず、
友人に渡そうとします。
しかしそれを密告されて
逮捕をされたとの事。

警察に踏み込まれたときは
正直ホッとした気持ちもあったという。
そして1984年にも再び薬の使用と
所持で逮捕をされていまいます。

その事については2016年9月7日に
「バイキング」に出演して
薬を一度やめても
また誘惑にかられて悪魔が囁くとして
薬物依存の克服は難しいと語っていました。

■美川憲一の2人の母

美川憲一は薬で二回逮捕され、
人生ダメになるようなギリギリのところまで
行ってしまったと語っています。

しかしそれで現在のように
立ち直ることが出来たのは
2人の母のおかげ。

背負うものが会ったために
頑張ることが出来たという。

美川憲一の2人の母とは姉妹。
姉の米子、妹の以し子さんは2人とも
女優にスカウトされるような美人であり、
産みの母は妹の以し子さん。

■母が2人になった経緯

美川憲一の産みの母である以し子さんは
結婚を前提に交際して欲しいと
ナンパをしてきた男性と交際。

しかし子供ができると男性(父親)は
飲めば元気な子供が生まれるとして
ビタミン剤と称した薬を持ってきます。

怪しいと感じた母がこっそりと捨て、
お腹が大きくなっていくのを見ると
父親は姿を消してしまったという。

この薬をもし飲んでいたら美川憲一は
産まれてこなかったかもしれないと
語っています。

そして美川憲一が生まれてから
父親の実家に向かうと
父親は別に妻子がいたことが判明。
母親は苦労がたたってか肺結核に。

そして姉に美川憲一を
預けるようになります。

■美川憲一が母のことを知ってから

そうした経緯もあり美川憲一は
産みの母の事をおばちゃんと
呼んでいました。

しかししょっちゅう出入りをしていて
運動会のような行事にも
参加してくれていたため
何か特別な愛情を感じることはあったよう。

そして産みの母親が妹の
以し子さんであると
知ったのは中学1年の時。
近所の「事情通」の女性から
知らされたという。

そうして母達の事情を知ってからは
特に反抗することもなく
二人の母として接するように。

■オネエキャラとなったのも母の影響

美川憲一は2人の母から
きれいな服を与えられて
綺麗だと言われ続けてきました。

そして育ての母には歌舞伎や宝塚などに
連れて行ってもらっていたため

女性が男装をすること、
男性が女装をすることに
特に抵抗感がなかったという。

そうして「さそり座の女」で
色を前面に出すなどするように。

そうした美川憲一の芸風を
二人の母も男らしさは似合わないと絶賛。

■おわりに

ちなみにそんなオネエキャラとして
広く認知をされている美川憲一ですが
実は23歳の頃には母親も
気に入ってる女性がいて
結婚も考えていたという。

しかし結婚をしたら
美川憲一でいられなくなると思い
最終的には美川憲一という
キャラクターを守るために
結婚はしなかったとのこと。

美川憲一はそのような過去も
全てひっくるめて
良い人生を送っていると感じており

生まれ変わったとしても
男でも女でもなく美川憲一に
なりたいとまで語っています。