山田アリサは青ヶ島でひんぎゃの塩を生成。娘は99年生まれ

青ヶ島で生まれた山田アリサ
元々は文学座の養成所へ入所し
役者を志していましたが
故郷、青ヶ島に戻り塩作りをすることに。

今回は青ヶ島で「ひんぎゃの塩」を
制作している山田アリサについて
みてみましょう。


 

 

■山田アリサと青ヶ島

名前:山田アリサ
生年:1962年
出身:東京都青ヶ島

山田アリサの両親は教師。
それぞれ青ヶ島に赴任して出会い結婚。
青ヶ島には高校がなく、
中学を卒業すると本土で生活。
青ヶ島は地図でいうとこちら。

当時人口200人程度であった青ヶ島は
島の人全員が知り合いで、
山田アリサは自分の居場所ではないと感じ
横浜の高校に進学をしても
その思いはまだ消えず。

1年休学しオーストラリアに行き
肌に合うも移住する勇気は持てず。

高校を卒業後は免許の取れる短大に進学。
2年目、20歳の頃には大手劇団である
「文学座」の養成所へ入所。
そして井上ひさしの立ち上げた
「こまつ座」に入団。

そこでの生活は充実していたものの
主役級の役は山田アリサに回ってこず。
およそ33歳の頃には
母親が高齢となったこともあり
役者を目指すのはやめて母親と一緒に生活。

しかし同居して数年で母親は
心不全でなくなってしまいます。
(父親はそれよりも前に
癌でなくなっています)
そして実家の整理をするために青ヶ島へ。
 

 

■旦那と結婚し定住

山田アリサは家を補修するために
しばらく青ヶ島で定住。
思ったよりも時間がかかり、
青ヶ島でまかないを作る仕事をするように。

そうすると若い頃はあれだけ
肌に合わないと思っていた
青ヶ島の空気が今の山田アリサには
とても合うことに気づき
自分の居場所は青ヶ島だと思うように。

そして山田アリサは青ヶ島の旦那と結婚。
1999年に娘が生まれたとのこと。
また、製塩事業所は
1999(平成11)年11月11日に開所。
山田アリサの娘と製塩事業所は同い年。

■塩を作る山田アリサ

そんな山田アリサに転機が訪れたのは
役場が始めた製塩所での一般募集。
あまりにも過酷な仕事で
勤務し始めた男性が
1日で辞めたという話しが出て
山田アリサはそれに興味を持つように。

製塩所の釜場で塩作りをするものの
50度の部屋に入り
釜を洗ったりと様々な作業。

最初は製塩所での仕事が
務まるか不安だったので
翌年の夏まで長期契約をせず勤務。
ある程度の期間仕事が出来たことで自信がつき
山田アリサは製塩所で正式に勤務。

そして仕事をある程度してから
旦那と離婚をすることに。
山田アリサは釜場で働き
やがて製塩所が民営化する際に
経営を引き継ぐことになりました。

そして山田アリサは現在
青ヶ島の製塩所にて
「ひんぎゃの塩」を製作。

また、現在山田アリサの娘は
大学生で島の外に出てはいますが
最終的に戻ってきたいと語っています。

山田アリサの娘は現在鳥取にいるようで
10合鉢を百均で買ってもらって
送ってもらったことなどを
2019年6月のブログで明かしています。
 

 

■おわりに

山田アリサの住んでいる青ヶ島村は
日本一人口の少ない村。
(少なくとも2019年3月時点では158人)
青ヶ島に行く方法は基本的に
八丈島からヘリかフェリー。
ただし欠航率がかなり高く、
フェリーは40-50%ほどで欠航。

ヘリの欠航率は10%程度ですが
9人乗りなので満席に
なることが多いとのこと。

ちなみに青ヶ島の
ある意味ホットスポットがこちら。

実はこれ、青ヶ島唯一の信号。
本来は必要がないものですが、
いざ実物を知らないと
本土に行った時に困るので
教育のために設置されています。
そのような理由もあってか押しボタン式。



コメント

タイトルとURLをコピーしました