民進党の長島昭久が
党代表選に出馬する意思を固めました。
今回は長島昭久が意外にも
韓国よりではないことについて見てみましょう。
2017年4月7日追記
民進党東京都連であった
長島昭久幹事長ですが
2017年4月7日に民進党に離党届を提出する考えであることを発表。
理由としては共産党との共闘をすすめる
民進党の方針に不満をつのらせていたため。
たった今、後援会緊急総会にお集まりいただいた支持者の皆さんに対して民進党を離党する決意をお伝えしました。真の保守政治を追求して来た私にとり、価値観の大きく異なる共産党との選挙共闘路線は譲れぬ一線を越えることを意味し、国民の理解も得られないと考えた結果です。(つづく)
— 長島昭久 (@nagashima21) 2017年4月7日
民進党から長島昭久が離党するとなると
民進党にとってはかなりの大打撃な気がします。
追記終わり
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■長島昭久について
名前:長島昭久(ながしま あきひさ)
生年月日:1962年2月17日
出身:神奈川県横浜市
長島昭久は防衛大臣政務官、
内閣総理大臣補佐官、
防衛副大臣などを歴任しています。
実は東京都知事選では民進党は
もともと長島昭久を軸に出馬させる意向でした。
しかし野党4党共闘というのに否定的であったため
別の候補も探すという形になった経緯があります。
■長島昭久の竹島の考え方
長島昭久は韓国との竹島の考え方については
以下のように述べています。
竹島は、1905年に明治政府が領有宣言をしています。
しかし、韓国側は誤解に基づいて日本に奪われたと主張しています。韓国は竹島を「独島」と呼びますが、当時の地図にある韓国の「独島」と、
欧米の地図にも掲載され、われわれが「竹島」と認識する島とは、
明らかに違う島なのです。それが、1952年、
サンフランシスコ講和条約が発効する直前に、当時の李承晩大統領が一方的に日本海に軍事境界線を設定し、
竹島を韓国領に取り込んでしまった。
その後は武力で占有し、現在に至っています。
竹島に関してだけかもしれませんが
韓国には比較的強い態度です。
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■長島昭久は民進党とは意見がかなり違う部分も多い
長島昭久は民進党の中では右寄りと言われ
自民党に入るのではないか、と噂されてきた人物です。
例えば以下の様なものが有ります。
憲法改正に賛成
集団的自衛権の行使に賛成
特定秘密保護法が必要
永住外国人への地方選挙権付与にどちらかと言えば反対
憲法改正派が保守と呼ばれるのも
保守という字からいまいち理解できませんが
民主党時代に民主党議員の行動に対して苦言を呈するなど
所属政党であるからといって全てを肯定的に取る人物ではないようです。
■一部で炎上した法案を推進も…
しかし長島昭久には
北朝鮮人権侵害問題対処法案という法案の中で
推進していたことが有ります。
それは、脱北者の支援条項です。
それは乱暴に言ってしまうと
脱北者が永住許可を求めた場合は
生活基盤がなくても脱北したというだけで
日本の永住権を持つことが出来るという内容。
脱北者はそれまで難民として扱われていましたが
日本は難民認定がとても厳しい。
それはスパイなどが紛れ込む可能性があるためだからなんですね。
そして脱北者の場合はなおさらその可能性が高いであろうし
日本に受け入れた後に監視を続けるわけにもいかないため
共産党なども反対していました。
■おわりに
長島昭久は韓国寄りとはいえませんが
脱北者の支援条項の盛りこみはかなり炎上しています。
人道的には正しいのでしょうけども
脱北者を装った危険人物の入国の恐れがやはり拭えません。
厳正な審査をするのなら条項を盛り込まずに
今まで通りで良かったわけですし。
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