達川光男がデッドボール伝説真相をしくじり先生で語る。現在は捕手指導

デッドボールをやたら主張する達川光男
あたっていないのに当たったふりをし
そのデッドボールでの審判などとのやり取りが
「珍プレー好プレー」で頻繁に
取り上げられて強烈なキャラ付けに。

そんな達川光男がデッドボールの真相を
しくじり先生で語ったりも。
今回はそんな達川光男の
デッドボール伝説真相を語ることについてと
2019年現在は捕手指導などを
しているkとについてみてみましょう。


 

 

■達川光男のデッドボール伝説

広島県警にも
「グラウンドではだますプロ」と
言わしめる達川光男。凄い。

そのように達川光男というとデッドボール。
日本シリーズ最多である6個の
デッドボール記録保持者。
達川光男は当たってもいないボールを
「デッドボールだ!」と猛アピール。

特に1986年シリーズは
10月18日にデッドボールアピールをするも失敗。
10月21日にもデッドボールアピールをするも
やはり却下されてもいます。

逆に本当のデッドボールを
当たっていないとアピールをした事も。
それは1990年5月24日の阪神戦。
無死2塁、3塁のチャンスの際に
達川光男の左足直撃のデッドボール。

この時に三塁走者が生還をしていたので
達川光男はホームインのため
「当たってない」とアピール。
しかし達川光男の日頃の行いから
信用されずに結局デッドボール判定。

このデッドボール伝説の真相について
達川光男は2019年8月6日放送の
「しくじり先生」にて明らかに。

2019年8月6日追記

達川光男がデッドボールをアピールしたのは
長内選手がデッドボールを
アピールしなかったため。

長内選手は監督から
「なんでもっと当たったと
アピールしないんだ」と叱責され
その後二軍落ち。

そのため達川光男はプロは
当たったとアピールしないと駄目だと感じ
デッドボールをアピールするように。

追記おわり

ちなみに達川光男は
デッドボール以外にも
様々な伝説を残しており
珍プレーの王様と言われています。

1990年には達川光男が
コンタクトレンズを落とし
控え選手、コーチら全員で
達川光男のコンタクトを
探すために試合中断など様々な伝説が。
 

 

■達川光男の引退後

達川光男は1977年のドラフト会議で
広島から4位指名を受けて入団。
1992年には突如として現役引退。
達川光男は引退後野球解説者となり、

1995年に福岡ダイエーホークス
の1軍バッテリーに。
1998年には広島に二軍監督として復帰。
1999年に一軍監督となり、
2000年には成績不振の責任を取り辞任。

2003年に阪神に
1軍バッテリーコーチに就任し
リーグ優勝ととも
に野球解説者として復帰。

2014年には中日ドラゴンズの
1軍バッテリーコーチとなり
2015年に契約満了で退団。

2017年には
福岡ソフトバンクホークスの
1軍ヘッドコーチとなり
リーグ優勝、日本一に貢献し
2018年に契約満了で退団。
 

 

■現在は捕手を指導

そんな達川光男ですが2019年現在は
複数校を周り臨時コーチを務めています。
達川光男は2016年2月に学生野球資格を回復。

2018年秋から広陵、広島新庄など
複数校で無償の臨時コーチとして指導。

特に達川光男の母校である
広島県立広島商業高等学校については
第101回全国高校野球選手権広島大会直前に
正捕手にはマンツーマンで指導。

子供たちに捕手の技術を伝授するため
日本全国の高校を周り
指導をしているとのこと。

■おわりに

達川光男はどうしてもデッドボールなど
トリッキーな伝説が目に付きますが
選手としても指導者としても
かなり結果を残しているんですよね。
達川光男は広島だけではなく
様々な球団に呼ばれていますし。

そのため現在は全国で
臨時コーチをしていますが
どこかが正式に雇いたいという話も
十分有り得そうな話。



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