辻沙絵選手が結婚し名前は重本沙絵へ。ハンドボールで高校総体出場も

2016年のリオパラリンピックの
陸上女子400メートルで

銅メダルを獲得した
辻沙絵選手が結婚をしたことを
発表しました。

現在は陸上選手となっていますが
辻沙絵選手は過去には
ハンドボールで高校総体に出場し
ベスト8など活躍をしています。

今回は辻沙絵選手についてと
結婚についてみてみましょう。

 

■辻沙絵について

名前:辻沙絵(つじ さえ)
生年月日:1994年10月28日
出身:北海道七飯町

辻沙絵選手は生まれたときから
右肘から先がない、
先天性前腕欠損でした。

様々な事に挑戦をし
小学5年生の時にハンドボールを初めて
強豪校の茨城県立水海道第二高に
進んで高校総体のベスト8に。

2013年にはスポーツ推薦で
日体大に入学をして
両膝の十字靭帯を手術した影響で
一年近くリハビリへ。

そして大学2年生の時に
パラリンピックへの
挑戦を持ちかけられ
当初は困惑していたものの
陸上に絞って挑戦をし

2016年のリオ五輪で
陸上女子400m(切断などT47)で
銅メダルを勝ち取ります。
 

■辻沙絵の結婚

辻沙絵が結婚をしたのは
2018年1月28日。
以前から交際をしていた
一般男性と結婚をしたことを
2018年2月9日に発表。

2016年のリオパラリンピックに続き
2020年の東京パラリンピックに向けて
精進をすること、

また結婚をしたことで
辻沙絵から重本沙絵になったことを
ツイッターにて明かしています。

■辻沙絵選手と競技への出会い

辻沙絵選手について
簡略に説明はしましたが
こちらでは多少被るところもありますが
少しだけ詳しく説明します。

辻沙絵選手は生まれつき
右肘から先がありませんでしたが
最初の頃はだんだん
伸びてくるものだと思い
得には気にしていませんでした。

しかし生まれたばかりの弟には
手足もありショックを覚えます。
ショックから立ち直ったのは

できることが少しずつ増えていき、
その達成感が楽しく
様々な事に挑戦。

そうして皆がやっているためという理由で
函館市立鍛神小学校5年生の時に
担任の先生が
クラブで指導をしているのもあり
ハンドボールを始めます。

小学生の時は遊びの延長でしたが
中学は全国大会の常連であった
函館市立本通中学校。

入部の際に顧問に
「あなたに合わせて練習はできない」
と宣告をされたことで辻沙絵選手は

「みんなと同じプレーができれば
対等に認めてもらえる」として嬉しくなり
きちんと辻沙絵選手の努力や結果を見て
試合にも出してもらい、
二年生からメンバーに入り全中にも出場。
 

■高校時代は高校総体にも

そして高校はハンドボールの強豪、
茨城県立水海道第二高等学校を選び
3年生の時には高校総体でベスト8へ。

そしてスポーツ推薦で
日本体育大学に入学をするも
高校時代に度断裂した
両膝前十字靱帯のケガのために
入学してから暫くはリハビリ中心に。

そして大学1年の後半にはチーム入りをし
公式戦に出場もするなど
活躍をしていましたが

大学2年生の夏合宿中に
2020年に東京五輪、
パラリンピックが決まった事もあり
障がい者スポーツへの関心が高まります。

そしてハンドボール部の監督に
別の競技への転向を勧められ
当初は突然「障がい者」のカテゴリーに
いれられたように感じて
ショックを受けるも

引退後は教職につきたいという思いがあり
広い世界を知っている先生の方が
子供に様々なことを
伝えられると思い参加を決意し
2015年2月に陸上部に入部。

■陸上一本へ

それでも辻沙絵選手は
最初はハンドボールと
かけもちをしていますが
2015年10月の国際パラリンピック委員会の
世界選手権に出場をし

その時の選手全員がこの大会に全てをかけ
障がいがあることを忘れ、
スポーツに熱くなっている姿を見て
ハンドボールを辞めて
2015年12月から陸上競技に一本に専念。

そして2016年のリオパラリンピックでは
陸上女子40m(切断などT47)で銅メダルに、
2017年7月の世界パラ選手権女子
400m(切断などT47)でも
銅メダルを獲得しています。

■おわりに

辻沙絵選手が教職を
目指したきっかけは中学時代の
「あなたに合わせた練習はできない」
と言った部活の先生。

実際に障がいとは関係なく、
辻沙絵選手のことを1個人として見て
試合にも出してもらえ、

その他にもスポーツの
素晴らしさや礼儀など
多くのことを学んだとのこと。

健常者スポーツとして
ハンドボールに高校総体ベスト8、
障がい者スポーツでも
リオパラリンピックで銅メダル獲得と

両方で高いレベルで
取り組んでいる辻沙絵選手は
教師と教えられる事は
物凄く多そうです。