山田隆裕は現在メロンパン屋を辞めてJAのユメセンに…

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大阪生まれで高校二年生のときから
日本ユース代表に選出され、

1992年にも日本代表に選出をされて
タレントと交際報道が出るなど
若手スターであった山田隆裕

現在はメロンパン屋を経て
JAのユメセンで活動をしているようです。

今回はそんな山田隆裕のメロンパン屋と
現在についてみてみましょう。


 

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■山田隆裕について

名前:山田隆裕(やまだ たかひろ)
生年月日:1972年4月29日
出身:大阪府高槻市

山田隆裕は大阪府で生まれ、
静岡県に転居した先でサッカーをやりはじめます。
しかし中学生の時に父親が行方不明になり、
現在もまだ消息不明。

そうして母や姉を養うために14歳から働き始め
中学卒業後には進学せずに
働くつもりであったもののスカウトをされ、
入学資金の免除を条件に

特待生として迎え入れる話を持ちかけられます。
そのために18歳でプロになろうと決心し高校へ進学。

そうして高校三年間で見事に結果を出し
卒業後の1991年に日産自動車サッカー部に入部し
天皇杯決勝では4点目のゴールを決めるなど活躍。
1992年には日本代表に選ばれます。

しかし日本代表には積極的ではなく
参加を辞退などして日本代表からは遠ざかります。

その後京都パープルサンガ、
ヴェルディ川崎、ベガルタ仙台に移籍をしますが
2003年シーズン途中で現役を引退しています。
 

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■山田隆裕のメロンパン屋

山田隆裕は現役引退後に不安があったため
現役時代から起業に興味があったという。

そうして現役引退後に大阪で
友人が移動メロンパン販売に携わっているのに出会い
移動式メロンパンは全国的に流行ると直感。

ベンチャーが育たないと言われている東北を
開拓したいという思いから
2003年11月に「東北フーズショップ企業組合」を創業。
開業4ヶ月で11店舗を展開するに至ります。

しかしメロンパンの質が低下して損をしたとして
加盟金返還や損害賠償を求める訴えを起こされ
2009年2月には敗訴し、316万円の支払いを命じられています。

メロンパンの売上低下の要因は
山田隆裕が代表の「東北フーズショップ企業連合」が
有力な販売先を提供せず
組合が供給したパンの生地が製造工程の変化で味が変わったため

販売先の開拓義務、
生地の品質保持義務を怠ったとして
訴えを認める形になっています。

ちなみに山田隆裕ら組合側の主張は
以下の通りでした。

「手作り生地から機械生産への変更は
事前に説明をしていて品質は変わらない」
「売れないのは流行や競合他社の進出などの事情もある」

■山田隆裕の現在

そうして山田隆裕は現在は
JAこころのプロジェクトの
ユメセン(夢先生)として活動をしています。

こころのプロジェクトとはサッカー界が一つになり、
学校教育の現場と力をあわせ
子供の心身の健全な成長に寄与することを
目的にしている活動。

そうしてサッカー関係者や他種目の現役選手、
OBやOGを夢先生として小学校に派遣し
子供達に夢を持つことの大切さなどを伝える形であり
山田隆裕もその夢先生の一人として活動。

2015年12月11日には
千葉県市川市、第四中学校で
夢先生として子供たちに講義をしています。

■おわりに

山田隆裕は夢先生としても
活動をしているようですが、
現在は他にもメインとして事業を行っていそう。

なにせ夢先生はとても多いため、
特定の夢先生ばかりが
講義をするという形ではありませんし。
 

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