比嘉愛未は琉球王朝の末裔だった!?他の子孫には意外な物を考案した人も

芸能

比嘉愛未が琉球王朝の末裔かもしれないということが本人の口から語られました。比嘉愛未が本当に琉球王朝の末裔であるかはまだ情報不足であるため確定ではありませんが実は琉球王朝の末裔には今でも存在しているあるものを考案した人物もいます。

今回は比嘉愛未が琉球王朝の末裔であることについてと琉球王朝の他の子孫のことについて見てみましょう。

■比嘉愛未は琉球王朝の末裔か

比嘉愛未が琉球王朝の末裔である、と言ったのは101歳である比嘉愛未の曾祖母がそう語ったから。家の額縁に不思議な紋章が掲げられていてそれを疑問に思ったらそう答えたという。琉球王朝の王家、尚家の家紋とされているのは左三つ巴。

画像はWikipediaより。

これが家に飾られていた、ということなのでしょうか。しかし首里城には殆ど左三つ巴は存在していなく左三つ巴の紋章は本土のように家紋の意味はなく道具紋として扱われていたのでは、という説もあり紋章も実は謎が多かったりします。

紋章の件はさておき、比嘉愛未が琉球王朝の末裔というのは傍流であるのなら可能性はかなり高まりますね。

■琉球王朝の末裔は…

琉球王朝で最後の王は尚泰王。その六男の尚光の息子、尚明(しょう あきら)は沖縄ではなく東京都出身。東京帝国大学を卒業して大蔵省へ入省。

そして建設省を経て日本宅建公団理事となるなどマンションのリフォームに一石を投じた人物。ステンレス流し台つき公団住宅、つまりはダイニングキッチンを夜に広めた人物です。

また、尚明の嫁である道子は料理研究家としてNHK「きょうの料理」の講師を努めタコさんウィンナーを考案するなどの活躍をしています。

■おわりに

比嘉愛未が琉球王朝の末裔であるのなら家系図などを精査すると新しい発見があるかもしれません。個人的には飾られていた紋章がどのようなものか気になる。左三つ巴なのか、それとも全く別物であるのか。

また、首里城が焼けたことについて比嘉愛未はインスタにて「世界文化遺産であり、 沖縄のシンボルだった首里城が… とても残念で仕方ありません。。」(原文ママ)とコメント。現在は既に削除済みですが。沖縄出身の芸能人などの多くがやはりコメントを出しています。