元バドミントン日本代表で
オリンピック出場経験もある陣内貴美子。
旦那である元プロ野球選手の金石昭人と結婚をし
子供を産むために不妊治療をしていましたが
旦那の言葉で不妊治療を辞めています。
今回はそんな陣内貴美子の不妊治療についてと
やめどきであると悟った理由である
旦那の言葉についてみてみましょう。
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■陣内貴美子について
名前:陣内貴美子(じんない きみこ)
生年月日:1964年3月12日
出身:熊本県
陣内貴美子はサントリーバドミントン、
ヨネックスバドミントン部を経て
1992年にはバルセロナオリンピックに
日本代表として出場をしています。
1994念には現役を引退し、
フジテレビの番組の土曜日キャスターになり
1995年には「プロ野球ニュース」の
キャスターやリポーターを担当しています。
そうして現在も「news every.」など
多くのテレビ番組に出演してわかりやすくニュースを伝えており
「木原さぁん、そらジロー!」と呼びかける声でもおなじみ。
■陣内貴美子と旦那、金石昭人の結婚
陣内貴美子と旦那の金石昭人が
結婚をしたのは2000年のこと。
陣内貴美子は36歳、
金石昭人は40歳となる年でした。
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■陣内貴美子の不妊治療
そうして36歳で結婚した陣内貴美子は
結婚当初は子供は自然にできるものと思っていたものの
子供ができなかったために39歳から不妊治療を開始。
最初は排卵日前日や当日に
性生活を行う「タイミング法」をしたものの
妊娠できず、検査を受けてみると
卵管がねじれており妊娠が難しいことが発覚。
42歳の頃に体外受精にきりかえ
毎日病院に通って排卵誘発剤を打ち、
陣内貴美子は体外受精1回でおよそ50万円、
顕微授精1回でおよそ60万円かかったとのこと。
そうしてこれだけお金を出したのだから
絶対子供ができてほしいなど
やめどきがわからず、精神的にも
追い詰められていたという。
■陣内貴美子のやめどきを作ってくれたのは旦那
そうして不妊治療を続けていた陣内貴美子ですが
やめどきを作ってくれたのは旦那である金石昭人。
追い詰められていく陣内貴美子を見ていた旦那が
45歳の時に「もうやめよう」と告げたことがきっかけ。
旦那の子供が欲しかった思いや
親に孫の顔を見せたかったという思いもあったものの
やめどきがわからなかったものの
旦那がやめどきを決めてくれたとして
安堵の気持ちもあったという。
■おわりに
陣内貴美子は不妊治療を長年続けたものの
子供は授かれませんでした。
そういうのを考えるとできちゃった婚などは
バッシングされがちですが
それで上手くいくのならアリなのかなぁと思ってしまう。