水島新司の息子は現在マネージメントも父引退で表に?

ドカベン 芸能

超長期連載のドカベンで有名な水島新司が引退をすることが明らかに。200巻超えという偉業を達成した作品で2018年に連載終了。そうすると気になるのが息子である水島新太郎。元々はタレントとして活動をしておりたけし軍団にも所属。伝説となったフライデー襲撃事件にも参加をしていました。

今回はそんな水島新司が引退をした事で現在はどうなったのか。また息子である水島新太郎の近況についてなどにもみてみましょう。

水島新司が引退を発表

水島新司は新潟県出身の漫画家であり2005年4月には紫綬褒章、2014年には旭日小綬章を受賞しています。代表作は「ドカベン」「あぶさん」など野球漫画であり野球漫画の第一人者。

そんな水島新司が引退を発表したのは2020年12月1日。ドカベンは1972年から連載して2018年6月に完結し、なんと連載期間は46年にも渡ります。また、「あぶさん」は1973年から2014年とドカベンと比較すると少し短いものの、それでも41年。

このように水島新司は現在は漫画家としては新作発表は行っておらず。そのため今後はどうなるのかと注目が集まっていましたが「63年間頑張った」として引退を表明。

水島新司は実は2018年の野球殿堂入りの特別表彰に「野球発展に貢献した」と認定され漫画家として史上初の候補者として認定をされてもいました。そのため水島新司は引退を発表はしたものの、野球関係の仕事が舞い込んでくる可能性も…?

2020年5月7日放送のNHK「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」ではベタな名字といえば山田というのは何故なのかと検証。この時に仮説として「漫画に登場しすぎているからでは」との説が。ドカベンの主人公は「山田太郎」であるため。

そして実際に水島新司に番組では何故山田という名字にしたのか聞いており、それの返答が「連載開始時に日本を代表する名前だった」ため名付けたという事を明かしてもいました。

息子の水島新太郎は元たけし軍団

 

水島新司の息子は水島新太郎。彼は堀越高等学校出身であり野球部に所属。卒業後に同じ野球部の同期でもあったサード長嶋を誘って「おぼっちゃま」というコンビを汲んでCDをリリース。

おこのデビューにはビートたけしが深く関わっています。もともと水島新太郎は俳優になろうと思い父に告げており、その事を水島新司は高校卒業の1985年の年明け草野球仲間であるビートたけしに「息子が役者の勉強をしたいと言ってるので良いところ知りませんか」と相談。

たけしはそれを受けて「軍団で修行したほうが良い」といったアドバイスをされてたけし軍団(セピア)入り。とはいえ当時は「ビートたけしバラエティ」がまさに絶頂期でビートたけし本人は多忙過ぎたためあまり面倒を見ることはできず。そのため太田プロに所属をさせていました。

この時にビートたけしが水島新太郎の高校時代の同級生、サード長嶋に目をつけて「おぼっちゃま」というコンビになったという経緯。ちなみに当初はキドカラー大道もメンバー候補としてボイトレなどをしていました。

そして1986年にはフライデー襲撃事件に参加。ギリギリ19歳であったため実名報道はされていなかったものの今では割と周知の事実扱い。

そして1990年に水島新太郎は太田プロに復帰。たけし軍団での経験はいろいろな意味で他では味わえないものでしょうし、結果的に良い経験になったのかもしれません。

また、父親である水島新司の作品「極道くん」には水島新太郎がモデルの「御坊土山」というキャラが登場。これはコンビ名「おぼっちゃま」から。そんな水島新太郎は現在は父親のマネージメント業を中心にしておりタレントとしては表舞台に出ていません。おおよそ2001年頃の出演が最後となっています。

父親が引退をしたことでマネージメント業務に関しても一区切り。水島新太郎も表舞台に再び出てくる可能性も…。また、実は1977年には既に東映の映画「ドカベン」に出演をしていたりもします。

ドカベン像などに関してもエピソード

そんな日本を代表する野球漫画と言っても過言ではないドカベン。出身地である新潟ではその功績をたたえてドカベンのブロンズ像が市内に2002年12月から新潟市古町通五番町商店街に設置されています。

しかし2015年3月には水島新司本人が「像を撤去してほしい」と連絡。この理由は未だ明らかになっていないものの、このブロンズ像を用いてケツバットをされているかのような写真が拡散されて話題になったためではないかとされています。実際の画像はこちら。

住所としては新潟市の古町通五番町の商店街。通称水島新司ストリート。SNS映えするスポットとして話題になっていました。水島新司は厚意で著作権使用料無料で除幕式にも笑顔で出演していたので何があったのかと話題に。

しかしタイミング的に、2015年には前述のように「ケツバットガール」として新潟市の写真家がネット上で作品を公開した事などから「作者の意図に沿わない」とした理由ではないか?との説が。

このような形。ちなみに「ドカベン ケツバット」で検索をすると2016年以降にも似たような行動の画像はいくつも見受けられます。その後に水島新司と新潟市は競技を続け2016年2月中旬に存続に合意。無事にそのままドカベン像は残ることになりました。また、これは日本人だけの特徴ではなく海外でも普通にやることのよう。

人は銅像を見ると悪ふざけをせずには生きられない生き物なのでしょうか。