宮澤崇史(自転車)と母親の物語は道徳の教科書や24時間テレビにも

自転車競技選手の宮澤崇史
23歳の時に母親に肝臓を移植。
その後自転車競技に復帰し
華々しい活躍をするという
まさに不死鳥のような選手。

今回はそんな宮澤崇史と
母親の物語について、
そして結婚した嫁の
花菜子さんなどについて
みてみましょう。

 

■宮澤崇史のプロフィール

名前:宮澤崇史(みやざわ たかし)
生年月日:1978年2月27日
出身:長野県

宮澤崇史は6歳の時に
父親を病気でなくします。
そうして母親の実家の近所に引っ越し。
宮澤崇史の母親は
女手一つで宮澤崇史を育てることに。

宮澤崇史は3歳の頃から自転車を
親から与えられていました。
そうして5キロ離れた祖母の家に
行くときには自転車で行くほど
自転車は日常にありました。

そんな宮澤崇史が自転車競技を
目指したのは中学生の時。
テレビでツール・ド・フランスを見て
「プロの自転車選手になる」と決意。

そして近所で自転車のレースも開催。
母親はそれを聞いて職場の同僚から
新品のスポーツバイクを貸してもらい
宮澤崇史はそれに乗って練習をするように。

宮澤崇史は長野県飯綱高原で
初めて自転車の競技大会に参加。
これがきっかけでのめり込むように。

高校も自転車部がある
「長野工業高校」に進学。

そして18歳の時にワールドカップ・
チューリッヒ選手権15位。
19歳の時にはツール・ド・おきなわ市民
200キロレースで優勝、
20歳の時には全日本実業団いわき大会優勝。

全日本選手権4位、
世界選手権日本代表と活躍。
 

■宮澤崇史の母親が病気で倒れる

宮澤崇史の母親、純子さんは
肝臓の病気、原発性硬化性胆管炎が悪化。
宮澤崇史が21歳の時に倒れてしまいます。

宮澤崇史は母親の命を救うために
自らの肝臓提供を申し出。
しかし母親は断固拒否。
実は手術をしたら自転車選手として
プロ復帰はまず不可能と告げられていたため。

しかし宮澤崇史が自転車に乗るのは
母親の喜ぶ顔が見たいためであり
母親が病気でなくなってしまったら
自転車を続ける意味なんかないと説得。

2001年9月11日に
宮澤崇史は肝臓の3分の1を母親に移植。

手術をしてしばらくは安静状態となり
一ヶ月後にはリハビリを開始。
毎日3時間の腹筋、
自転車で100km走るも成績は伴わず。
2年後には加入をした
ブリヂストンアンカーから
戦力外通告を受けて解雇。

その後は単身フランスに渡り
アマチュアから再スタート。
プロに復帰をして
アジアチャンピオン、
北京オリンピック代表に。

32歳の時には「全日本選手ロードレース」優勝。
その後2014年には36歳で引退をしています。

ちなみに宮澤崇史がこの母親への
肝臓移植手術を明かしたのは
手術から7-9年後のこと。

それはもしその話をしたら
単純に逃げになってしまう、
負けたときの言い訳になるために
言葉として発したくなかったという理由から。
 

■宮澤崇史は結婚して嫁も

宮澤崇史は2011年10月26日のブログで
2012年11月3日に結婚をして
家族を持つことを報告。
嫁は花菜子さん。
アスリートフードマイスターの資格を所持。
夫婦でインタビューを受けていたり、

結婚前の2011年3月に宮澤崇史が出版した
「自転車ゴハン」という本も
実は嫁の花菜子さんも共同で
手がけていることを明かしています。

■おわりに

宮澤崇史と母親の話は
2015年2月5日放送の
「奇跡体験!アンビリバボー」でも放送。
更に平成31年度版・中学三年生の道徳の教科書にも
「母と子のロードレース」というタイトルで
掲載をされてもいます。
全文は宮澤崇史のブログにて公開。

更に2019年8月24日から
25日にかけて放送される
日本テレビの24時間テレビの
スペシャルドラマ「絆のペダル」でも
宮澤崇史と母親の話が原作。
相葉雅紀が主演のドラマになるとのこと。