成田童夢、今井メロを兄と姉に持つ、
成田兄弟の末っ子である成田緑夢。
日本代表に選出をされるも
練習中の事故により重症を負い、
障害等級6の障害者に。
しかしその後競技に復帰をし、
障害者スノーボードの大会に出場、
平昌パラリンピックにも出場をし
見事に金メダルと銅メダルを獲得。
金メダルの走りは
成田緑夢にとって全て挑戦で
同じ滑りはせず、全て成功し
タイムを更新しつづけました。
今回は成田緑夢の事故と
障害者となってからの
考え方や平昌パラリンピックでの
金メダルなどについてみてみましょう。
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■成田緑夢について
https://twitter.com/gurimunarita/status/918623924471992320名前:成田緑夢(なりた ぐりむ)
生年月日:1994年2月1日
出身:大阪府住之江区
成田緑夢は父親が
スノーボードコーチの成田隆史。
兄は成田童夢、姉は今井メロで
二人ともトリノオリンピックに
出場をしています。
ちなみに今井メロの本名は
今井夢露(いまい めろ)。
成田緑夢は成田兄弟の末っ子であり
1歳の頃からスノーボード開始。
小学生時代にはスノーボードの
国際大会のジュニア部門で優勝。
1998年の長野五輪では
前走デモンストレーターを務め
スノーボードの練習器具として
使われていた、トランポリンも
競技として平行。
2010年8月に行われた、
全国高校選手権の男子個人で
成田緑夢はトランポリンで
北京五輪金メダリストの16.2を超える、
16.3という歴代最高得点をマークし
最高難度点賞を受賞。
そして2012年11月からは
フリースタイルスキー、
ハーフパイプも開始し
2013年フリースタイルスキー
世界選手権の日本代表に
選出もされるなど
マルチな才能を発揮していました。
成田緑夢の紹介動画はこちら。
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■成田緑夢が事故で障害者に
しかし成田緑夢は2013年4月に
トランポリンの練習中に左足を負傷。
スキー板の重りを想定した
2.5キロずつの重りを
両足首につけていて
飛んだ瞬間にあ左足が滑って
前屈の姿勢で落下。
左足の前十字靱帯と
後十字靱帯が断裂。
そして半月板も損傷し、
静脈も破裂してしまいました。
この事故で歩ける可能性は
20%と言われ、
最悪切断の恐れもあると
医師に宣告されます。
父親が脚を切断しないでほしいと
懇願をしていたため、
なんとか切断には至らず。
6ヶ月ほど入院をし
手術も4回して
切断には至らなかったものの、
膝下麻痺が残り、
障害等級6に認定され
障害者と判断されるように。
■障害者からのメッセージが転機に
そして成田緑夢は退院から
半年も経たない頃に
父親によってスキーに連れられ、
夏にはウエークボードも再開。
ウエークボードでも優勝をしますが
今まで成田緑夢は
無心で五輪だけを目指していたため
優勝しても何も感慨は無かったという。
ですが障害者からSNSにて
「障害を持つ緑夢君の姿に
勇気をもらった」
とメッセージを受けて
成田緑夢がスポーツをすることで
誰かを元気づけられるかも
しれないとして
スポーツをやる意味を考え出します。
そしてまずはパラリンピックを
目指そうとし夏冬の
パラリンピックを目標に。
そして成田緑夢は五輪への夢も
まだ諦めていないと公言をしています。
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■平昌パラリンピックで金メダルへ
そして成田緑夢は
2018年3月16日の平昌パラリンピック、
スノーボード男子バンクドスラローム
下肢障害にて金メダルを獲得。
この時は常に同じランはせず、
毎回挑戦をしてベストを更新し続け
その結果の金メダルということで
成田緑夢にとって文句のない
最高の大会になったと語っています。
2018年3月12日の
スノーボードクロスでも
銅メダルを獲得していますし
本当にマルチな才能を持っています。
■おわりに
成田緑夢は事故にあって
切断の危機を乗り越えた後に
以下のように語っています。
「一つだけ極めるという
日本の文化を変えたい」
「僕はヒーローになりたいんです」
実際に事故にあって障害者と
なった後もスキーハーフパイプに復帰、
ウエークボードにも取り込み
走り高跳びにも取り組んでおり
スノーボードでは平昌五輪で
金メダルと銅メダルを獲得。
それ以外にも成田緑夢は
陸上短距離層や走り幅跳び、
トライアスロンや射撃に至るまで
様々な競技への挑戦を考えています。
本当に成田緑夢は
このまま通常の五輪にも
何らかの種目で出場が
できそうな程の活躍を
見せていますね。