1964年の東京オリンピックで
バレーボールチーム、
通称東洋の魔女のエーススパイカーとして
活躍をした谷田絹子。
現在は結婚をして井戸川絹子となり
バレーボール指導員として勤務をしています。
また、女優の淡島千景が
設立したクラブチームに
所属をしていた事も。
今回は谷田絹子の現在と
淡島千景との関係について
みてみましょう。
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■谷田絹子について
名前:谷田絹子(たにだ きぬこ)
生年月日:1939年9月19日
出身:大阪府
谷田絹子は兄の影響で
中学からバレーボールを始め
兄の知り合いであった
小島孝治が指導をしている
四天王寺高校に入学。
高校在学中に日紡貝塚に
スカウトをされてそのまま日紡へ。
1961年の欧州遠征で
谷田絹子らは22連勝を記録。
1962年の世界選手権で優勝。
結婚敵歴であることもあり
引退をする予定であったものの
1964年の東京オリンピックに
バレーボールが正式種目として決定。
そのため周囲の期待があり
東京オリンピックまで
谷田絹子ら東洋の魔女は
バレーボールを続けることに。
そして1964年の東京オリンピックで
見事宿敵ソ連を打ち破り優勝。
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■谷田絹子と淡島千景
谷田絹子は東京オリンピック後に
大阪の日紡を辞めて暫くは東京へ。
そして実は女優の淡島千景が
谷田絹子ら東洋の魔女の
大ファンであったこともあり、
淡島千景が自ら「フジクラブ」
というクラブを作りオーナーに。
淡島千景の自宅に事務所を置き、
マネージャーが代表となり
東洋の魔女らが複数名在籍。
そして1965年に開催された
第20回国民体育大会
バレーボール競技で
谷田絹子らはフジクラブとして
参加し見事に優勝。
ちなみに谷田絹子は大阪の日紡を辞め
東京のフジクラブとして
優勝をしたために
大阪に世話になっておきながら
東京を優勝させるとはけしからんと
言われたこともあったとのこと。
また、フジクラブは1968年の
メキシコオリンピックの時には
終わっていたことも
明かしています。
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■谷田絹子の現在
谷田絹子は現在は結婚をし
3人の子供、7人の孫に
恵まれていることを明かしています。
そして現在は出身地である
大阪府池田市の
市立総合スポーツセンターで
バレーボールの指導員として
勤務をしているとの事。
また、里山のふもとの
パッチワーク作家の森山百合子の
アトリエに通ってパッチワークを
塗ったりもしている事を
明かしています。
■おわりに
谷田絹子ら東洋の魔女が
金メダルをとった
1964年の東京オリンピックから
56年後の2020年には再び東京で
オリンピックが開かれます。
これから東京オリンピックが
近づくに連れて
やはり谷田絹子ら東洋の魔女も
様々な場面で見る機会が
多くなる気がします。
ちなみに谷田絹子は「東洋の魔女」
という呼び名が昔は嫌だったという。
理由はいじわるなおばあさんの
イメージがあったためだとしています。