歌手の梓みちよが死去。「こんにちは赤ちゃん」で大ヒットをした歌手であり、作詞家の永六輔が16年に亡くなった時にコメントを出して追悼もしていましたが…。
また、梓みちよは2018年などに徹子の部屋で今現在を明かしてもおり、さんまのまんまでは毎回語られる伝説を残してもいます。[affi id=4]
梓みちよが死去
出典:ツイッター
梓みちよが死去したことが明らかになったのは2020年2月3日の事。梓みちよは1月20日に亡くなった事を事務所が公表しました。梓みちよは1943年6月4年生まれ。76歳でした。死去した状況についてはマネージャーが梓みちよの自宅を訪ねた所亡くなっている尾を発見。
梓みちよの葬儀は死去好評の前日、2月2日に既に近親者のみにて行われていました。梓みちよの自宅をマネージャーが訪れたのは出演予定であった番組の打ち合わせのため。
梓みちよについて
名前 | 梓みちよ(あずさ みちよ) |
生年月日 | 1943年6月4日 |
出身 | 福岡県福岡市博多区 |
梓みちよは福岡女学院を卒業してその後1960年に宝塚音楽校に入学。在学中に渡辺プロのオーディyションに合格したため契約をし、宝塚音楽校は中退。
1962年に「ボサノバ娘」として「ボッサ・ノバでキッス」にてデビュー。そしてその翌年の1963年には永六輔作詞の「こんにちは赤ちゃん」にて大ヒット。日本レコード大賞を受賞してNHK紅白歌合戦に初出場などして大ブレイク。
しかし逆に「こんにちは赤ちゃん」がなまじ大ヒットしたために何をしてもついてまわり押しつぶされそうな時も…。一時はイメージを変えるために封印。しかし2002年、デビュー40周年の日に解禁をしました。[affi id=4]
梓みちよの今現在が明かされていた
梓みちよは2012年には「今後の夢」を聞かれて「今後どうなるかわからないから今だけ」と今を生きることを明かしています。
その時に梓みちよは様々なジャンルの歌を歌っているものの実は好きなジャンルはなく、「お仕事で歌っている」「その代わり、歌う時に歌に思い入れ・夢を作っていく」という事を明かしていました。
また、梓みちよは今現在は本人の名前を冠した化粧品ブランド「梓」にてサイドビジネスも展開していました。元々梓みちよ本人もスキンケアに興味を持っており、基礎化粧品、入浴剤などを販売。
そのために梓みちよは70歳を超えているとは思えないほどきれいな肌を維持しています。実際に楽天市場などでも梓みちよプロデュースブランドの化粧品は販売。[affi id=4]
徹子の部屋でも今現在を…
梓みちよは2018年1月31日放送の「徹子の部屋」に田辺靖雄と共に出演。梓みちよと田辺靖雄は「こんにちは赤ちゃん」の発表前後の1963年から1964年には「ヘイ・ポーラ」「けんかでデイト」など様々な曲をデュエットした縁。
今現在だからこそ言える事として実は「けんかでデイト」を歌っていた当時、実はしょっちゅうケンカをしていたと暴露。
デュエットを歌う時に指を絡めるという演出もあったものの、お互いにカメラの死角ではつねって痕がついてしまっていたということも…。また、この時に梓みちよは愛犬を飼っており生きがいは愛犬であるとも告白していました。
さんまのまんまでシャンパンを
梓みちよの伝説と言えば「さんまのまんま」でのシャンパン事件。梓みちよは1986年10月8日放送の「さんまのまんま」に出演。この時に明石家さんまはシャンパンを開けようとしていましたがその時に梓みちよはシャンパンを開ける際に音を立てて開けないようにやんわり注意。
しかし結局シャンパンは勢いよく開き、更には梓みちよの着ていた高級ドレスにもかかってしまい梓みちよは「(ボトルを)振ったでしょ」と激怒。その後梓みちよの事を明石家さんまが「好きでしたよ」と過去形で言ったためか梓みちよちよがシャンパンをかけてしまうという事件が。
しかも1回だけではなく2回。ああ…おかわりもあるぞ。明石家さんまは1回目はおいしいと思ったのか笑っていたものの2回目はさすがに明石家さんまも一瞬止まって無表情になりスタジオがひえっ冷え。その空気を敏感に察したのか最終的にはおどけて笑いに変えたものの今現在も語り継がれる伝説に…。
さんまのまんまの総集編などではこの梓みちよと明石家さんまのシャンパンにまつわるエピソードは必ずと言って良いほどあがり、「梓みちよ シャンパン事件」などとも名付けられています。明石家さんまが最終的におどけたとはいえ梓みちよも明石家さんまもガチの無表情。怖い。
ちなみにこの梓みちよのシャンパン事件について梓みちよは週刊誌等にて大バッシング。最終的に梓みちよが明石家さんまに高級ブレスレットを送り謝罪。今では笑い話として語り合えるほどになっているとも明かされていました。[affi id=4]