日本でも女優として活動し
韓国ではユミンとして
活動をしている笛木優子。
韓国で活発に活動をしていましたが
突然日本に帰国をしました。
その理由がなんとも凄い。
今回は笛木優子が
韓国で何故活動をしていたか
そして帰国したのは何故か。
その理由についてみてみましょう。
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■笛木優子について
名前:笛木優子(ふえき ゆうこ)
韓国での芸名:ユミン
生年月日:1979年6月21日
出身:東京都
笛木優子は東京パフォーマンスドールに
研修生として在籍をした後に
2000年に『天気予報の恋人』で
ドラマに初出演。
2001年には映画『ホタル』で
映画にもデビューをし
映画『新・雪国』で主演をしています。
2001年11月には韓国に移住して芸能活動をし
テレビや映画などに出演をしています。
しかし2006年には帰国。
日本を拠点として
活動をする意向を示していました。
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■笛木優子が韓国で活動をした理由
笛木優子が韓国に興味を持ったのは
韓国映画『八月のクリスマス』を見たため。
韓国映画やドラマにはまり、
短大卒業後に韓国へ語学留学。
短期留学の予定だったものの
韓国のテレビドラマ『わが家』に
出演したことを理由として
韓国に住居を移して
活発に活動をしていました。
■笛木優子が韓国から帰国した理由
笛木優子は2006年に
オスカープロモーションに所属をし
日本に帰国をして日本で
活動をするようになりました。
韓国ではユミンとして
活動をしており実績のあった笛木優子。
その急な帰国の理由については
当初は韓国映画に出演することができたため
母国である日本で頑張ってみたい
という理由と語っていました。
しかし2016年12月13日には
韓国tvN「現場トークショー タクシー」で
突然日本に帰国した理由については
以下のように語っています。
辛い出来事があった。
マネージャーがお金にいい加減。
好きだった韓国を
嫌いになるのが恐ろしかった。月給10万円で仕事をしており
日本にお金を送ってもらえなかった。一番大きな事務所だと
聞いたものの三ヶ月でなくなり
1年間は3食ラーメンと
韓国海苔巻きのキンパブばかり食べていた。
■おわりに
新人であるのならまだしも
笛木優子は映画にも出演していたのに
月給10万円というのは凄い。
最終的にはこれ以上
何故いなければならないのかと
笛木優子は思って帰国をした、
というのが理由のよう。
笛木優子は事務所の金銭面が
きちんとしていたら
今でもまだ韓国での仕事のほうが
比重が大きかったのかもしれませんね。
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