伊藤健太郎の事務所社長の兄は元・国土交通大臣という衝撃

芸能

伊藤健太郎が事故で逮捕され様々な影響が。伊藤健太郎は最も勢いのある若手俳優と言っても過言ではなく、事務所の移籍もしたばかりで事務所は対応に大忙し。

そんな伊藤健太郎の事務所ですが実は事務所社長、馬淵哲矢(まぶち てつや)の兄が立憲民主用所属の元国土交通大臣、馬淵澄夫である事が明らかに。今回はそんな伊藤健太郎の事故と、所属事務所の社長の兄が元国土交通大臣であることについてみてみましょう。

伊藤健太郎の事務所が事故の対応に大わらわ

出典:伊藤健太郎ツイッター

伊藤健太郎が事故を起こしたのは2020年10月28日の18時前。東京都渋谷区千駄ヶ谷の路上でオートバイに接触をして現場から逃走。この事によりこの事故はひき逃げとなってしまいました。

ただし事故を目撃した男性が乗用車で伊藤健太郎を追跡。クラクションを鳴らしながら戻るように諭し、伊藤健太郎も素直に従って現場に戻っています。一旦逃げてしまったためにひき逃げとはなってしまいました。それなら最初から逃げればよかったのにとの声も。

伊藤健太郎は実は2020年9月10日に事務所を移籍。デビューした当初に所属していた事務所である、イマージュエンターテインメントに翌日9月11日から所属。現在も下記を固定ツイートにしています。

このように事務所移籍があり、そして伊藤健太郎が出演する映画「とんかつDJアゲ太郎」は事故が報道された翌日、10月30日に公開。他にも11月6日主演映画の「十二単を着た悪魔」などの公開や12月からの主演舞台「両国花綿闘士」なども控えている状況。

既に出演番組や出演ドラマの出演部分が削除されたり、CM「マルハニチロ」なども公式サイトで既に動画が削除されていたりと事務所の対応も忙しい事が伺えます。

伊藤健太郎の所属事務所であるイマージュエンターテインメントも公式ツイッターにて謝罪。

追記

伊藤健太郎が不起訴となったことが2021年3月25日に明らかになりました。

事務所社長は馬淵哲矢

名前馬淵哲矢(まぶち てつや)
生年1963年
出身大学流通経済大学経済学部

ここで伊藤健太郎の事務所、イマージュエンターテインメントについてみてみましょう。まず事務所の成り立ちについてですが、大本は「ボン イマージュ」という1980年に設立された(主に)外国人やハーフモデルなどのモデルエージェンシーです。こちらが2015年2月に芸能プロダクションとしてイマージュエンターテインメントを設立しました。

現在の事務所社長である馬淵哲矢はもともとは東芝などを経て大本の会社である「ボン イマージュ」に勤務開始。ここでエグゼクティブディレクターという立場であったので外国人モデルをスカウトするため様々な国へと行っており、2012年に会社を引きついで社長に。

ちなみに馬淵哲矢は海外に憧れがあり、白人モデルと付き合いたいという情熱が。サーフィンをして夜はディスコなどでナンパをするという実践英語で語学力が鍛えられ、それが外国人モデルのスカウトにつながったという経緯なのである意味で初志貫徹しています。

事務所社長、馬淵哲矢の兄の馬淵澄夫は元国土交通大臣

馬淵哲矢の兄は馬淵澄夫。民主党政権で国土交通大臣を務めた人物です。兄弟の年齢差は3歳であり、弟の馬淵哲矢曰く「兄は優等生で憧れと反発の対象」。

とはいえ陶磁器にサ~でフィンや英会話を始めるなど決して仲が悪かったわけではないとしています。実際に兄の馬淵澄夫のツイートにも「弟の哲矢」として時たま存在が確認できます。

芸能事務所社長であるため、このような人脈があるというアピールを兼ねての事なのかもしれませんが…。

馬淵澄夫の身内もおよそ1年前に事故を起こしていた

実は馬淵澄夫の妻が2019年11月4日に奈良県の国道169号にて道路脇の側壁にぶつかる事故を起こしていました。馬淵澄夫と妻が乗っており、助手席に乗っていた馬淵澄夫は左手首骨折および腸間膜損傷で1ヶ月の重症。単独事故でありドクターヘリで運ばれました。命に別状はないとしつつもICUに入るほどの怪我であったと当時報道されています。

元交通大臣でもあることからこのエピソードは馬淵澄夫にとってある意味でテッパンエピソードとなったのかツイッターのプロフィールでも「6期目の衆議院議員。内臓損傷、手足骨折の大事故から甦る。天の配剤と受け止め、再誕、求不得苦という二つの言葉を胸に活動中。」と記述。

国会に戻ったのは2020年2月10日。また、体作りが大好きで週に3回ステーキを食べることもあり筋肉が現在も衰えていないため「政界のターミネーター」とも呼ばれています。

伊藤健太郎は事務所に戻ってきたばかりだった

伊藤健太郎の俳優デビュー作は2014年のドラマ「昼顔」。しかし芸能デビューきっかけは過去のインタビューにて「14歳のときに知り合いの紹介でモデル事務所に所属」と本人が語っています。

これは別のインタビューでは「自分の母の知り合いで事務所の方がいた」とも語っており、2020年9月のツイートの「僕を見出してこの世界へと導いてくれた株式会社イマージュエンターテインメントに再び所属」と併せて考えるとデビュー時の事務所がイマージュエンターテインメント。ちなみに正確に言うとグループ会社であるボンイマージュ。

そのようにデビュー時はボンイマージュに所属をしていた伊藤健太郎。その後はイマージュエンターテインメントに移籍し、2017年に事務所「aoao」に所属。再びイマージュに戻ってきた理由は一説には2020年4月にaoaoで伊藤健太郎のマネジメントをしていたマネージャーが退職したことも一因ではとされています。

とはいえ前マネージャーは伊藤健太郎の車の運転や私生活について度々注意をしていたりと、伊藤健太郎にとって甘い事だけを言うタイプでは無かったとの証言も。そう考えると良い方は悪いですが、口うるさいマネージャーがいなくなったのなら前事務所にそのまま居てもおかしくはありませんが…。