1974年に結成され一世を風靡した
JJSことジャニーズジュニアスペシャル。
僅か4年と短い期間の活動でしたが
メンバーの板野俊雄、林正明と畠山昌久の三人は
絶大な人気を誇りました。
今回は彼らがジャニーズ・ジュニア・スペシャルの活動を
終えてからは一体どのような
活動をしていたのかについて見てみましょう!
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■JJS解散のその後
JJSは1974年に結成し、1978年に解散しました。
その次に後継グループとして
VIPという五人組のグループとして再結成。
JJSの三人に加え女性二人(河村信子・吉本和子)
が加入しています。
これはジャニーズとしては珍しい。
いえ、ジャニーズどころか
アイドルグループで男女混ざっているのって
今でもそんなない気がしますよね。
それが原因かどうかは定かではありませんが
結成から一年の1979年に林正明、畠山昌久
そして吉本和子が脱退しました。
残ったのはJJSの板野俊雄と河村信子。
二人組とはいえその後も一応はグループとして存在。
男女混合だと応援するアイドルと
異性のアイドル同じユニットにいるっていうのが
あまり良くなかったのかもしれません。
ファンからすると同じグループの
アイドルとはいえ嫉妬してしまうのかも。
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■林正明のその後
VIPを脱退してからはしばらくの間
ソロでアコースティックライブ活動に専念。
そして結婚して男の子が生まれ
嫁の実家の家業の不動産を手伝っていることがわかっています。
横浜市にある不動産と言われていますね。
■板野俊雄のその後
1980年にジャニーズのバックダンスグループ、
ジャPAニーズに加入。
田原俊彦のバックダンサーとなり
バックコーラスなども担当。
そのジャPAニーズが解散後は
田原俊彦のチーフマネージャー、
シブがき隊のチーフマネージャー&プロデューサーになりました。
自分がもともとアイドルであったため
マネージャーとなったら凄い気配りができそう…!
その後は故郷の山口県で
ダンススクールを開校し
2005年からが地元のケーブルテレビで
情報番組のレギュラー視界を務めています。
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■畠山昌久のその後
畠山昌久は脱退した後に事務所を移り
1980年には「畠 真之」と改名して俳優として活躍
1984年には劇団四季へ入団し「畠山昌久」に芸名を再度変更。
しかし暫くしてからまた改名し「畠山 久」へ。
名前がものすごく変わっています。
その後はX JAPANのToshiやデーモン小暮閣下などとも共演。
■終わりに
ジャニーズJr.の第一期生となる
ジャニーズ・ジュニア・スペシャル。
一番人気のあった林正明を始め
それぞれのメンバーが後進に与えた影響は多大。
ジャニーズ・ジュニア・スペシャルを終えた後
全員が全員何らかの形で
芸能活動に携わってるのかとおもいきや
林正明だけは不動産業を手伝っていた
というのがほんの少し意外。