カープ史上初のFA権を行使し
巨人へ移籍をした川口和久。
巨人キラーとまで言われており
カープ愛のある人物ですが
そのFAでの移籍理由については
義父が重病であったという
家族の事情がありました。
そんな川口和久は現在は
解説者として活動をしています。
今回は川口和久の
家族の事情による移籍についてと
現在の解説者としての
活動についてみてみましょう。
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■川口和久と広島
川口和久は鳥取市の出身であり
1981年に広島から
ドラフト一位指名を受け入団。
1987年にリーグ最多奪三振、
1989年、1991年にも
リーグ最多奪三振を獲得し
広島のリーグ優勝に
貢献をしていました。
そうして川口和久は
広島を第二の故郷を感じ
愛着がありました。
特に対巨人戦では33勝31敗と
巨人相手に30勝以上で
勝ち越しているのは
川口和久と星野仙一、
平松政次の3人だけ。
そのため川口和久は巨人キラーとして
広島時代に活躍をしていました。
■川口和久はFAで巨人へ
そして巨人キラーとして
活躍をしていた川口和久ですが
1994年11月には広島に
FA権の行使を連絡。
これは広島史上初の
FA権行使となり大きく話題に。
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■家族の事情での移籍だった
ではなぜ川口和久が
広島から巨人へ移籍したか。
その理由は川口和久の嫁の父、
つまり義父にあたる人物が重病であり
嫁が当時東京に住んでいた父の
看病をしたいので
東京にいくためにFAをしてほしいと
懇願をされたという家族の事情が。
結果として川口和久は
嫁の願いを受け入れて
広島から巨人へFAで移籍をしています。
■番組で川口和久が語っていた
巨人への移籍に関しては
川口和久が広島ホームテレビの
2016年9月14日の番組で
FA宣言の裏側を告白しています。
その理由としては以下の通り。
義父の看病のため嫁に
FAをしてほしいと言われたが、
最初はそれはできないと言った。理由は自分がここまで来れたのは
カープのおかげであるため。しかしカープで野球をするか、
家族を捨てるのかで悩み抜き
FA期限までの一週間記憶がない。当初は広島に迷惑を
かけられないと
パ・リーグを選んだが長嶋茂雄から直々に
電話で誘われたため
巨人に移籍となった。
ちなみにその番組の時に
川口和久は今でも
カープの思いは変わらず、
ユニホームは大切に
保管をしていると
答えていました。
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■現在は解説者に
川口和久は1995年に
前述の敬意で巨人に入団。
そして義父は1995年3月に
なくなってしまいます。
その後川口和久は
1998年シーズンで現役を引退し、
その後にはメディアに出演。
解説者などとしても
活躍をしています。
SPORTS COMMUNICATIONSなどの
ウェブサイトでも
川口和久は解説をしていたり。
■おわりに
川口和久の家族の事情での
巨人への移籍は
本人も物凄く悩んでいたことを
前述のように明かしていますし
川口和久はやはり広島という
イメージがとても強い。