ひろゆきがスパチャで罠にハマる。F爺との事に言及

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ここの所話題になっているのがひろゆきとF爺こと小島剛一の騒動。ことの発端はバルセロナのウスマン・デンベレとアントワーヌ・グリーズマンの来日時の動画。

この事はフランスで大きく話題になり日本にもそれが波及した形。そしてその動画の流れや使った言葉にもフォーカスがあてられていますが、人によって見解の相違が…。この時に最も意見が対立しているのが今ではメディア露出も多くなったひろゆきと在仏言語学者のF爺こと小島剛一。

多くの人はF爺の意見を支持しているようで、ひろゆきが論破をされたという見方が多数。そんな中ひろゆきはyoutubeで生配信をしましたがその時のスパチャにとある罠が…。今回はそんなひろゆきが嵌ってしまったスパチャの罠についてみてみましょう。

ひろゆきが嵌ったスパチャの罠

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出典:ひろゆきYoutubeチャンネル

ひろゆきが罠に嵌ったスパチャ画像は上記の通り。実際にどのタイミングでスパチャが送られたかと言うと2021年7月16日にライブ配信されたひろゆきの公式チャンネルの動画の1:37:25前後から。下記に公式動画を埋め込みましたがその時間から始まるように設定はしています。

画像ではなくスパチャで文字起こしをしますが以下のような文章となっています。

  • 40歳の主婦です。この前、スーパーに行ったら近所の奥さんとばったり出会い、他愛もない世間話をしていたら、その奥さんがチラッと私の買い物かごを覗いたのに気づきました。
  • 私だけかも知れませんが、自分が買ったことものを他人に見られるのが恥ずかしい気持ちがあり、「この人こんなもの買ってるんだw」ってまるでプライベートな部分を盗み見られたような気がしてすごく嫌な気分になりました。
  • ひろゆきさん、どうしてエフジイさんに論破されてしまったんですか?

最初は本当に他愛も無い話であるのに最後の最後で急転直下、F爺とのやりとりについて質問。しかも「F爺」などですぐに気付かれないようにするためなのか、わざわざカタカナで「エフジイ」と表記を変える心配り。

過去の生放送などではF爺関連のチャットが削除されていたとも言われているため、その対策なのでしょう。…しかしそのためにスパチャをわざわざ払っているという侠気。

ひろゆき返答せざるを得なくなる

さすがにスパチャを読んで途中でやーめた!とは出来ずひろゆきはこのスパチャでF爺とのやりとりについてコメントせざるを得なくなってしまいます。その時のひろゆきの返答は以下の通り。

  • えっとそこじゃないのね質問は。
  • 今日のアベプラでも言ったんですけどF爺さんて人がputain(ピュータンとひろゆきは発音)っていう言葉の使い方っていうのでそれを使う人は無教養な人ですよみたいな事を書いてるんですよ。
  • で、教養のある人も使いますよって事でピュータンって言葉を聞いたからとしてその人が無教養だと思う人の方がフランスは少ないんですよ。
  • その例としてマクロン大統領がプライベートの時言ってますよって出したりするので。
  • こういうピュータンって言葉の使い方については既に説明仕切ってると思うんですけど。
  • それ以外に何を聞きたいのかがよくわからんって状態ですね。
  • 僕ピュータンって言葉がフランスの中でどう使われてるかって説明したんですよ。
  • 論点ずらしって言ってる人ってぜんぜん違う話をしたいと思うんですよね。
  • でも僕はもともとピュータンって言葉がフランスの中でどう使われてるかっていうので、ブログの人って言うのは使われ方全然知らなかったよねって話なので、じゃあ不勉強じゃないですかって書いたんですけど。
  • なのでその時点で僕としては論点は変わってないと思うんですけど…。
  • ただなんか他の話をしたい人ってので、例えばサッカー選手が差別発言をしたかどうかっていうのをこの話に混ぜたい人がいるんですけど。
  • 僕はそこの論点では話をしてないんですよ、最初から。
  • ピュータンって言葉がフランスでどう使われてるかって話をしたんですけど、なぜかそこがなんか差別の問題にしたがる人がなんか論点が違う論点が違うって言ってるんですけど。
  • そもそも論、僕がその差別の話をブログの人としようとしたっていうのをもし出してもらえるなら出してみれば良いんじゃないでしょうか。

このようにひろゆきはコメントをしていますがひろゆきのこの生放送での発言の要旨は以下のようなものであるという事になります。

  • F爺はputainという言葉について「無教養な人が使う」と言っていた。
  • 教養のある人も使うということでマクロン大統領がputainと発言している動画を出した。
  • もともとputainという単語の意味でしか話をしていない。
  • デンベレたちの動画でputainという言葉に差別の意図があるかどうかは論点ではない。

このひろゆきの生放送でのコメントに多くの人は驚愕。元からそれが争点だったはずでは?とツッコミを受ける事態に…。

F爺はどのようなスタンスか

F爺こと小島剛一は1968年から在仏して永住している言語学者。専門はフランス語ではなくトルコ語、ザザ語やラズ語など。F爺が反応したのはひろゆきが7/4にyoutubeにてデンベレとグリーズマンの動画について見解を示した事がネットニュースになったため。

この時にひろゆきは「ピュータンというフランス語は英語で言うFxxkに近いもの」「強調でよく使われる」「雑談でよく使われるので本来の意味と離れてしまったのでは」として、デンベレの発言については差別の意図はなかったのでは?という立場。

実際にトルシエの通訳として知られる7カ国語のエキスパート、ダバディにも「今回の件は差別ではないのでは?」とひろゆきはツイートをしています。

更に少し後ですが7/8にひろゆきはデンベレの発言、行動について「差別の意図がある」と決めつけている事に対してツイートをしています。

この一連の動きを見てもわかるようにひろゆきは「誤訳、もしくは過剰な反応で差別ではない」というスタンスであると見られます。

そうしてデンベレの発言が差別だと言われるのは誤訳が発端であるというひろゆきの持論を語ったニュースにF爺は反応。ひろゆきのputainの解釈について以下のようにコメントをしています。

  • 「英語で言う「F〇〇K」に近いもの」かどうかは、普段そんな極めて下品な言葉を使う英語人やフランス語人と付き合っていないF爺には、判断できません。
  • 耳学問と机上の知識を寄せ集めると、酷(ひど)く下卑ているという共通点はあっても、《全然違うんじゃないかなあ》という門外漢の感想になります。
  • 「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう。
  • 単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。
  • 直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。

ただし、そもそもF爺はputainの誤訳などが問題ではなく容姿に対する差別感情、自分たちに理解できない言語を軽視する態度などからデンベレは差別感情を吐露していると判断をしていました。

ひろゆきが反応

このF爺のブログにひろゆきが反応。以下のようにツイートをしました。

このようにひろゆきはF爺のブログでの表現について微妙に解釈がずれています。F爺はあくまでも「putainという強い侮蔑語を強調のためによく使うのは無教養だと見なされる」と記述しています。

しかしこのひろゆきのツイートだけを見るとまるでF爺がputainという言葉自体を知らなかったかのように見えてしまいます。

更に後日ひろゆきはツイートをしていますがこの時もまるでF爺がputainの強調の用法を知らないかのようにツイートをしてもいます。

ひろゆきが発端を忘れているのが原因か

今回の大まかな…色々とツッコミどころがあるので詳しく説明するとものすごい長さになるので大雑把な流れだけを再び記述すると以下の通りになります。

  • 7/4にひろゆきがデンベレのputainという言葉について「強調でよく使われる」として差別の意図がなかったという見解を示す。
  • 7/6にひろゆきの上記見解がネットニュースになる。
  • 7/7にF爺がブログ更新。ひろゆきのputainの解釈について異議を唱える。
  • 7/8にひろゆきが「putainは映画でもよく出てくる若者言葉」「聞いたことがないからフランス人は使わないというのは勉強不足」とツイート。
  • 7/16にひろゆきがABEMA Primeに出演して「putainはひどい悪口だが人種に言及した言葉ではない」「若い人たちは普通に使う単語」「みんなが間違ってる」と主張。
  • ひろゆきがその後のYoutube生放送で「putainという言葉がフランスでどう使われてるかしか論点じゃない」と主張。

このようにそもそもの発端がひろゆきの主張する「putainは悪口ではあるが差別の意図がない」「強調でよく使われる」というものだったわけです。

そういうスタートだったためにひろゆきが「putain単独での用法」をいくらツイートしても傍から見るとputainにはこのような用法もあるので差別的な意味があったとは限らないという主張の材料のためにしか見えません。

今回差別的な意味で使われたかはおいておいてputainの用法についてだけ議論をしたいのならきちんとそれを明示すべきだったと個人的には思います。

おわりに

ひろゆきは今もなおF爺が「putainは強調のために使うのは間違いだと主張している」という認識のままな気がして、そこで何かズレているような印象。何か話が噛み合わない場合って多くの場合はどちらかの認識がずれているんですよね。

ただそう考えるとひろゆきの行動も(ある意味で)一貫性がある…ような?ひろゆきは「putainは現在もよく使われる言葉」「罵倒語の意味だけではない」と主張をしており、多くの人は「そういう他の用法があることは知っているがデンベレの動画ではそういう使い方ではない」と反論をしていたわけです。

おそらくひろゆきの中ではF爺の【「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう】という文章を読んだ時に「よく」を見落とし、その後の文章も見落とし「強調のために使われるのは間違いだ」とF爺が言っていると解釈してしまったのでは。

そしてひろゆきの中ではその時点でデンベレがどのような意図でputainと言ったかという話はもう終わり、putainの用法についてだけ議論をしているということになったと判断するのがしっくりきます。