岡野雅行の嫁と子供(娘)にはエピソードがありますが、それにはあのジョホールバルの歓喜が深く関わっています。岡野雅行の伝説的エピソードの一つとして今でも多くの人が名前をあげるもの。
野人・岡野雅行の名前を広く知らしめるだけではなく結婚、そしてちょっとほっこりする娘についても実はこのジョホールバルの歓喜が深く関わっていました。今回はそんな岡野雅行の嫁と娘、二人にジョホールバルの歓喜が関わっている事についてみてみましょう。[affi id=4]
岡野雅行と嫁の結婚
出典:さくマガ
岡野雅行の嫁である岡野裕子さんは1歳年下。実は交際を開始してから順調で一度も破局をしていなかった…というわけではありません。それに大きく関わっているのがジョホールバルの歓喜と言われる1997年のイランとの試合での勝利。
試合は延長戦にもつれ込み、それまで一度も出場機会が無かった岡野雅行が延長戦と共に出場。野人・岡野雅行の本領を発揮し最後の最後で決勝点を決めると言う快挙。これは日本サッカー史の残る究極の名場面とも言われています。
この岡野雅行のジョホールバルの歓喜のゴールを見ていた元彼女が「ゴール見ました」と留守電に入れていたことがきっかけで復縁。それが現在は嫁である岡野裕子さんであったという事を語っています。
ちなみに岡野雅行の嫁は鳥取に移住した際に魚が安くて美味しい事に驚いていたという事を岡野雅行本人が披露。東京ではかなりお高いカンパチも身が厚くて新鮮なのに数百円とかなりお得であり、そのために「こんなに安くて良いの?」と最初はかなり驚いていたという事を明かしています。
岡野雅行は2013年にガイナーレ鳥取のゼネラルマネージャーとなり2017年にはガイナーレ鳥取の代表取締役GMに。その関係でガイナーレからカニを送るプロジェクトなどもしており食には一家言あったりします。
子供(娘)ともその後にエピソードが
嫁と復縁をしたきっかけともなったのがジョホールバルの歓喜での野人・岡野雅行として活躍をしたゴール。しかし嫁とのエピソードだけではなく娘とのエピソードにも関わりが…。
そんな岡野雅行と娘とのジョホールバルの歓喜のエピソードは意外な接点。岡野雅行の娘が小学3年生の時に歴史図鑑をおねだり。それを買って渡すと、「パパが出てる」と言われます。岡野雅行はいやいやそんな事はないだろう、野人って言われてたしネアンデルタール人とかだろうと思って確認。
実はその歴史図鑑は比較的最近の日本の出来事が書かれていたもの。そのため岡野雅行が活躍したジョホールバルの歓喜も日本がサッカーワールドカップに初出場と言う理由で掲載されていたという経緯です。[affi id=4]
実はジョホールバルの歓喜には複雑な思い
そのように野人・岡野雅行にとってジョホールバルの歓喜はまず嫁との結婚に一役買っており、そして娘とのエピソードにも関わっているために良いイメージかと思いきや実はそういうわけではありません。
そもそも岡野雅行はジョホールバルの歓喜ではゴールを決めて一躍注目を集めましたが、予選中は呼ばれるものの「秘密兵器だから」と監督が言って出場機会はそれまでなし。そして延長戦で初出場となりましたがそんな大事な場面での初出場となる事に当時は「ふざけんな」と心のなかで思っていました。
実際に心が切り替えられていなかったためか、最初のうちは岡野雅行にチャンスが来ても何度も逃してプレッシャーだけが募り、「このままでは一生日本に帰れない」とまで思うように。
しかしそんな中でチャンスをものにしてゴール。そうして野人・岡野雅行の名前は不動のものになり大々的に報じられました。しかしどこに行っても「Vゴールの岡野」と言われて持ち上げられ、他の選手の活躍が無かったかのようになり申し訳なく思ってまともに当時の試合のVTRを見られないくらいのストレスに…。
唯一良かったと思えるのが嫁との復縁
公の場でもそのような思いを抱えていた岡野雅行。プライベートな場所でも注目を抱えて人間不信に。まず自宅前には報道陣が張り付き、買い物に出ても全員が岡野雅行の事を注目。そして小学校以来疎遠になっていた”友人”が激増。
そのようにして人間不信に陥っていた岡野雅行ですが、そんな中で唯一良かったと思えることがあり、それが前述のように当時は既に破局をしていた元彼女(現在は嫁)から留守電が入っていた事だけでした。両親も岡野雅行が知らない間にテレビに出ていたことも本人にはショックだったのは想像に難くありません。
娘が呪縛から解き放ってくれた
岡野雅行はそのようにジョホールバルの歓喜には複雑な思いを抱いています。それがなければサッカーを続けていられなかったものの、結果として一時期人間不信に陥っていたこともあり、良い面も悪い面も大きい。
そんなジョホールバルの歓喜について受け入れられるようになったのは15年ほど経ってから。ようやく客観的に受け入れられるようになったのが、その15年ほど経った時の前述の娘が歴史図鑑で「パパが出てる」と言って見せてくれたエピソードによってでした。
歴史図鑑によるとサリン事件のあとの年表としてジョホールバルの歓喜が紹介されており、その事を知ってから講演会などで自分の当時の思いをありのまま語った方が良いと決意。そうして講演会で当時の事を話すうちに自分でも消化できて今では笑いながら話せるようになったとの事。
実はビジネス野人だった事を明かす
出典:有吉反省会ツイッター
岡野雅行といえば野人。歴史図鑑に載っていると言われて「ネアンデルタール人の事かな?」と自分でも思うほどのスタイル。そもそも野人というニックネームがついたのはやはりジョホールバルの歓喜の時に長髪であり、それを振り乱して駆け回る姿の印象が強いため。
そんな愛称である野人をフルに活かしてカレンダーの「まいにち野人!」、講演会「野人講演」などを開催している岡野雅行。実際に岡野雅行は野人という愛称からイメージされる野蛮さとは程遠く普通に紳士。
しかし初対面の人はその愛称から「長髪でチャラチャラしてるんだろう」という先入観を持っているためか、普通に挨拶をするだけで「挨拶ちゃんとできるんですね…」という印象を受けるのか挨拶だけで仕事の契約を貰えることがあったということで、名付け親の土田尚史には感謝をしていると明かしています。
そのように野人という愛称と本人の性格のギャップを意図的に利用して野人ビジネスを展開していることを2020年11月21日保輸送の有吉反省会で反省するとの事。
実際に岡野雅行本人も娘から歴史図鑑に「パパ出てる」と言われてクロマニヨンやらネアンデルタール人を連想するなど、野人と原始人の違いがパッと出てきてません。言葉のイメージ的にはあまり違いないのは確かですけど。