中村哲医師がアフガニスタンで死去。中村哲医師はアフガニスタンに水路を作り、現地の人でも手入れができるようにして先を見据えていた人物。
アフガニスタン政府から名誉市民として扱われており、現地の旧支配勢力である反政府武装組織のタリバンですらも関与を否定しています。今回は中村哲医師がアフガニスタンで水路を作り現地で英雄視をされていることについてみてみましょう。[affi id=4]
中村哲医師が死去
中村哲医師が死去したのは2019年12月4日の事。アフガニスタン東部、ナンガルハル州ジャララバードからクナール州に車で向かう途中。襲撃を受けて中村哲医師、そしてボディーガードや運転手らあわせて6人が死去。
中村哲医師は当初は意識があり、治療を受けるために米空軍基地に搬送される途中で息を引き取りました。中村哲医師の死去をアフガニスタンのガニ大統領はテロであると断定。現地の反政府武装勢タリバンは関与を否定。理由としては「国家建設に携わるNGOとの関係は良好」であるためとしています。
しかし中村哲医師の車が集中的に狙われた事からアフガにスタンの当局は中村哲医師が標的であったと断定。他の武装組織は現在のところ犯行声明を出してもいませんし否定をしてもいません。現地ではイスラム国とタリバンが互いに勢力争いをしている状況ですが…。[affi id=4]
中村哲医師について
出典:ライブドアニュース
名前 | 中村哲(なかむら てつ) |
生年月日 | 1946年9月15日 |
出身 | 福岡県福岡市 |
中村哲は昆虫と山登りに興味があったため1978年にヒンズークッシュ遠征隊の山岳退院として現地へ。そして現地が気に入り、1983年にハンセン病コントロール計画に協力をするために赴任。1984年にはペシャワール会という、中村哲医師の医療活動を支援する目的で結成された団体の現地代表に。
中村哲は医師として限られた資金で効果を上げるためには少数の高価な薬を用いるよりも病気にかからないようにするほうが早いと考えました。そのためまずは水の確保が必要と考え、きれいな飲み水と農業用水があるだけでも多くの人が助かると考え水路を作るなど実行。
中村哲が水路を作るのにコンクリートを使わない理由
中村哲さんたちによって、アフガニスタンのガンベリ砂漠は、いまでは全長約25キロメートルの用水路として、1万6,500ヘクタールの緑の大地に生まれ変わった。これによって65万人もの難民たちが用水路の流域に帰農し、定住するようになった。想像を絶する途方も無い努力があった。 pic.twitter.com/xrXCY6NNPa
— 😇 (@aki21st) December 4, 2019
中村哲はそれまで砂漠であったところに水路を作り植林をしました。しかしこの技術はコンクリなどを使って水路を作るのではなく、江戸時代から伝わる古い技術を使用。
中村哲がわざわざ古い技術を使ったのは住民自らが土木工事をして整備もしなければいけないため。最初に資金に物を言わせて水路を作ったとしてもそれはその場しのぎ。アフガニスタンの実情に沿った技術を使わなければ助けにならず、アフガニスタンの実情に沿ったのが日本の伝統技術であったということだと語っています。[affi id=4]
中村哲医師はアフガニスタン名誉市民に
中村哲医師は1984年にアフガニスタンでペシャワール会として活動を介し。そして30年以上もの長い間現地で診療を続けたり水路を作るなど貢献。その結果以下のように多くの賞を受賞しています。下記はあくまでも一部。
- 1988年:外務大臣章
- 2003年:「ラモン・マグサイサイ賞」平和・国際理解部門(アジアのノーベル賞)。
- 2008年:第三モンベルチャレンジアワード
- 2013年:第24回福岡アジア文科賞大賞
- 2010年:アフガニスタン国会下院 表彰
- 2016年:旭日双光章
- 2018年:アフガニスタン国家勲章
- 2019年:10月にアフガニスタン名誉市民権授与
中村哲医師が襲撃されたのはアフガニスタン名誉市民権を授与されてから2ヶ月も経っていません。
中村哲医師の死去に関するネットの反応
中村哲医師はアフガニスタンで長年医師としても活動をし、水路を建設するなどの支援活動もしていた人物。アフガニスタン政府も「我が国にとって最も偉大な友人」と表現。中村哲医師を狙ったのか、人違いであったのかはわかりませんが…。ネットの感想はこちらとなっています。