吉野彰がノーベル化学賞!旭化成名誉フェローで名城大学教授

ノーベル賞に最も近い男と言われていた吉野彰
2019年10月にその通りに
ノーベル化学賞を受賞しました。
吉野彰は旭化成の名誉フェローであり
名城大学の教授。

今回は吉野彰がノーベル化学賞を
受賞したことについてみてみましょう。

 

■吉野彰について

名前:吉野彰(よしの あきら)
生年月日:1948年1月30日
出身:大阪府吹田市

吉野彰は1970年に京都大学工学部
石油化学化を卒業。
1972年には京都大学工学研究科の
修士課程を修了。
そして2005年3月には大阪大学の大学院、
工学研究科の博士(工学)を取得。

吉野彰は1972年4月に旭化成に入社。
2003年10月には旭化成グループフェローとなり
2005年には旭化成の吉野研究室室長に。
吉野彰は現在は以下のような肩書を持っています。

■技術研究組合
リチウムイオン電池
材料評価研究センター理事長

■名城大学大学院理工学研究科・教授
■旭化成名誉フェロー
■九州大学グリーンテクノロジー
研究教育センター・訪問教授

また、吉野彰は1999年から様々な賞を受賞。
以下は吉野彰が受賞したそのごく一部。

■1999年3月
リチウムイオン二次電池の
開発の功績で「科学技術賞」を受賞。
■2003年
文部科学大臣賞科学技術功労者。
■2004年
紫綬褒章。
■2014年
チャールズ・スターク・ドレイパー賞。
■2019年
欧州特許庁から欧州発明歌唱。

そしてコレに加えて
2019年10月にノーベル化学賞が加わります。

■吉野彰がノーベル化学賞を受賞

吉野彰がノーベル化学賞を
受賞したのは2019年10月。
小型で大容量の
リチウムイオン電池の原型となる
新しい電池の開発に成功したため。

吉野彰のノーベル賞受賞の
会見動画は以下の通りとなっています。

■吉野彰はノーベル賞に最も近い男と言われていた

実は吉野彰は以前から
最もノーベル賞に近い男と言われています。
吉野彰がリチウムイオン二次電池の
研究に着手したのは1981年。
試作品が完成したのは1985年。

当時はリチウムイオン電池の用途は
デジカメぐらいにしか無く、
まだそこまでブレイクせず。
大きな転機を迎えたのは1995年。

ウィンドウズ95が発売され
パソコンが一般家庭にも普及し始めたため。
そうしてパソコンが小型化したことで
当初から吉野彰が考えていた
「小型の電子機器を持ち歩く世の中がやってくる」
という予測は見事的中。
日の目を見ることになりました。

現在は社会の様々な分野で
普及が進んでおりノーベル化学賞を
受賞するのは時間の問題とも
言われていたという。

■名城大学の教授となった印象

吉野彰は名城大学について
研究環境が整っており
定期的に抗議を持ち、
若い人と直接接する機会が増えることについて
楽しみだと明かしていました。

また、吉野彰は現在はIT機器の電源として
成長をしているリチウムイオン電池が
次に電気自動車という節目を
迎えていると見据えています。
無人自動運転の時代になるとリチウム電池は
さらなるステージに入るとコメント。

また、吉野彰は名城大学では
学問の詰め込みではなく原点を理解し、
身近なことに関連付けて欲しいということを
大学院生に求めているとしています。

更に間違えても良いので
自発的に考えて何らかの仮説や
答えを導くことを重視。
双方向の講義を心がけているとのこと。

■おわりに

吉野彰が科学に興味を持ったきっかけは
イギリスの化学者であるファラデーの講演録
「ロウソクの科学」を薦めてくれたため。
吉野彰は実際に自分も原理を確かめ、
それを見た先生が褒めてくれて
嬉しかった思い出が今でも
鮮明に残っているとのこと。

ちなみに吉野彰はテニス歴35年。
現在も神奈川県藤沢市の
自宅近くで週に1回はプレー。
やはり仕事自体はインドアでも
体力があったほうが大成する気が…。