パックンの現在と経歴が凄い。母親と共に生き抜いた少年時代

パックン 芸能

お笑いコンビパックンマックンのパックンことパトリック・ハーラン。現在も日本で活動をしていますがハーバード大学を卒業するなど経歴が豪華絢爛。

パックンは母親がシングルマザーであり少年時代は辛い思いをしたことを語っています。今回はそんなパックンの母親と共に生き抜いた少年時代、そしてハーバード大学を卒業したという経歴と現在は一体どのようなことをしているのかについてみてみましょう。

パックンと母親との少年時代

パックン

出典:パックンマックン公式ツイッター

パックンはまず少年時代に家庭環境が激変します。実はパックンは教育一家の生まれ。パックンの祖父もハーバード大学にいた事があり、父親も修士号を2つも所持。そのうえ空軍士官でありパックンの少年時代は空軍の中佐ぐらいの司令官であったとしています。一方で母親も音楽教師、小学校教師の経歴がありパックンの宿題を見て指導するなど教育熱心。

パックンのこの時の家は大豪邸。日本とは住宅環境が違うので一概に比較はできないものの、220平方メートルくらいの家で裏庭にはバレーボールが出来る程の広さ。逆に前庭ではアメフトが出来るぐらいの広さ。そのような豪邸に住んでいたパックンでしたが実は毎月の支払いは250ドル程度と、かなりお安め。

そんな中、パックンの母親はパックンが7,8歳ごろに離婚。パックンは母と姉、そして犬のポピーと共に3人と1匹で暮らすようになります。

しかし運悪くこのタイミングで母親がリストラされてしまうという不幸が。そして就職しては失敗を繰り返すなど家計が安定しない時期が続きます。更にパックンが11歳の時に姉が父親のもとに引き取られると、父親は姉を引き取ったことを理由に母親への養育費を一方的にストップ。

パックンはこのような時期にパックンの母親は真夜中にキッチンでパックンに見つからないように小切手帳を見つめて泣いているのを見たこと、ハグして精一杯慰めたというエピソードを語っています。

パックンの家庭はこの時に政府から食料切符をもらっていたため、スーパーで買い物をするとそのことに関して大声で指摘をされるという嫌がらせを受け、愛犬のドッグフードを買おうとすると「人間の食品ではない」として買わせてくれたなkッタという事も明かしています。

少年時代から働いていた

パックンはそのように母親と共に生活をしていたために自分で何かが欲しい時は自分で稼ごうと自然とおもっていました。実際に8歳の頃にサマーキャンプに行きたいと思ったときにはバタートフィーピーナッツというお菓子を訪問販売。10歳の頃には朝3時30分に起きて新聞配達を高校卒業まで毎日1日も欠かさずするように。

この時の新聞配達の貯金で250ドルかけて先輩から自転車を購入。そして16歳の時に車の免許を取り、日本のマツダ・ファミリアを1,300ドルほどで購入。この時に使った金額も新聞配達をして貯めたお金でした。

また、パックンは16歳の頃には新聞配達だけではなく様々なアルバイトにも手を出してもいます。一例を上げるとトラック運転手やバーテンダー。さらには家庭教師など様々なもの。ただし今でもパックンという人間の基礎になってるのは毎日続けていた新聞配達。

実はパックンは太ももと上腕の筋肉は発達していますが、これも新聞配達のおかげ。太ももは自転車で毎日新聞配達をしていた名残であり上腕の筋肉も新聞を投げていた名残。

実はアメリカの新聞配達はポストに丁寧に入れることはせず、自転車から家に向かって新聞を力強く放り投げます。映画などでたまにみかける光景ですね。ビニール袋に入ってるので雨の日も安心!投げ入れるというのは実は理由があり、州によってはそもそもポストに新聞を投函することが禁止されているためというのもあります。

Googleのストリートビューを見てもビニール袋に入った新聞が道端に落ちている画像などは確認できます。

ハーバード大学などの経歴

パックンはそのように母親と共に過酷な少年期を生き抜いたために、第一優先が母親を困らせないこと、母親を喜ばせることでした。そして前述のように母親は教育熱心。

小学校の時は問題児クラスに移されたこともあるパックンですがそのときも学業は優秀。そのために高学年になると優等生だけを集めた特別学級に移るほど。

そうしてパックンは高校は公立ランパート高校に進学。花形である野球やアメフトはどうしても用具が高いため敬遠して板飛び込み部に入部。このときも勉学に励みましたがその理由は母親が「成績オールAなら外食で好きなものを食べて良い」というルールがあり、何より良い成績を取ると母が喜んでくれたため。

そのような背景でパックンは高校を首席で合格。ハーバード大学に現役で合格をして比較宗教学を専攻。23歳に卒業をしています。パックンはハーバード大学を首席で卒業したと一部で言われているものの、これは高校を首席で卒業したことと現役でハーバード大学に受かったことが混ざって言われた可能性が。

実際にハーバード大学を首席で卒業しているのならハーバード大学出身ではなくハーバード大学首席卒業、みたいにもっと公式プロフィールでプッシュすると思うんですよね…。

ただしパックンの【ハーバード流「聞く」技術】という本では担当編集のコメントとして「ハーバード大学の宗教学部を卒業、その結果無神論者に」と書かれてもいます。…そうなるとパックンのハーバード大学首席は本当だったということに?

このようにハーバード大学(首席?)の経歴をもつパックンですが実は高いIQをもつ集団しか入れないメンサの会員。そのためにテレビ局のバラエティPもパックンがメンサであることを知っており注目。

芸人としての経歴

パックンはハーバード大学を23歳で卒業。実は大学合唱部のアジアツアーでパックンは初来日。そして福井県の友人の家に居候。その時に「英会話の先生になれば稼げる」と言われて履歴書を福井駅前の交番に持っていきました。これは英会話学校に就職したいということを伝えて場所を聞いたとのこと。コミュ力お化けかな?

パックンはこの時に福井県でアマチュア劇団のシベリア寒気団で役者として活動。ラジオDJをするなど芸能界を目指しており「英語でしゃべらナイト」でデビュー。モデル活動をしながら25歳で上京をし1997年にパックンマックンを結成して芸人に。

パックンの現在

パックンはその後2004年3月に元モデルである鯉沼芽衣と結婚。2007年に第一子の男児ライジェルくんが生まれ2009年3月に第二子となる女児のアリスタちゃんが生まれています。子供のために育児書は日本とアメリカの2つを読むなどしっかりと準備をしたパックン。

交際のきっかけは1998年のパックンマックンの新宿での路上ライブ。この時に後に嫁となる鯉沼芽衣が来ており、相方のマックンが「声かけてみなよ」とパックンに言ったため。マックンの目には鯉沼芽衣がパックンをずっと見ているように見えていたようで、パックンもその気になって一目惚れ。

このようにパックンはすでに日本で家庭を持っており、二人の子供が生まれていて更に日本で家も購入。日本に骨を埋める確率はほぼ100%であるとしています。

パックンは現在はマルチタレントというよりは比較的文化人よりの活動をしています。実際に2020年10月にはアメリカ大統領で解説などをしています。

2008年に相模女子大学の客員教授に就任して2012年10月には東京工業大学・リベラルアーツセンターの非常勤講師にもなっていますので、パックンの現在は芸人というよりハーバード大学(首席?)卒業者であり高いIQを活かした文化人といった様子。

国際関係や金融関係の講演会も多く、どちらかという現在はテレビ以外での活動が中心になっています。メンサ会員でもあるのでクイズ系のバラエティ番組に出ても盛り上がりそうではありますけれど。

おわりに

パックンの経歴で外せない要素はやはり少年時代に母親と共に育った環境と勉学に励んでハーバード大学を卒業したという点。貧しい少年時代を送っていなくとも成功してる人は沢山いるものの、パックンは貧乏な生活が無ければ今の自分は無いことは確かであるとも語っています。

個人的にパックンで一番印象深いのは2014年夏にテレビ番組で語った「(ラーメンは)中国で生まれて日本で育ってアメリカで死んだ」という言葉。これがアメリカンジョークか…!と思いました。

では具体的にアメリカのラーメンはどういう物があるのかと言うと、ピザのトッピングになったりハンバーガーのバンズの代わりになったりとかなり凄いラーメンが一部ではある模様。当然普通のラーメンもあるんでしょうけれど、ネタとしてそういうラーメンも一度は食べてみたい気が…?