中山恭子とその夫である中山成彬は
現在希望の党の結成メンバーとして
参加をしています。
また、二人の息子は財務省に勤務も。
今回は中山恭子のプロフィールや
中山恭子の夫、中山成彬と
その息子についてみてみましょう。
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■中山恭子のプロフィール
中山 恭子さんの投稿 2013年2月24日日曜日
名前:中山恭子(なかやま きょうこ)
生年月日:1940年1月26日
出身:東京府
中山恭子は東京大学を卒業後、
1年間研究生活を送り
その後外務省に勤務し
東京大学法学部へ学士入学。
1966年に大蔵省(現在は財務省)に入省。
1999年には特命全権大使
(在ウズベキスタン及び在タジキスタン)に。
2002年には拉致被害者家族担当の
内閣官房参与に就任。
2006年には第一次安倍内閣総理大臣補佐官に。
2007年には自民党から立候補し当選。
2008年には福田康夫改造内閣で初入閣。
2010年に夫がたちあがれ日本から
出馬することを受け
2010年6月に立ち上がれ日本に入党。
2012年には立ち上がれ日本が
日本維新の会と合流。
2014年8月には次世代の党に所属し
2015年12月には
「日本の心を大切にする党」へ。
2017年2月には
「日本のこころ」に党名を変更。
2017年9月には中山恭子は
夫とともに希望の党へ参加。
希望の党の結党メンバーに。
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■中山成彬のプロフィール
遊説中母校ラサール高校の前を通った。学校周辺は当時とは様変わり。高2の7月、父が急死し、農家を継ぐつもりで実家に帰っていた私に、授業料と寮費を免除し、奨学金も支給するから学業を続けるようにと励ましてくれた担任。公に育てられた私。 pic.twitter.com/SAiT0DA2s6
— 中山なりあき(中山成彬) (@nakayamanariaki) June 29, 2016
名前:中山成彬(なかやま なりあき)
生年月日:1943年6月7日
出身:宮崎県小林市
中山恭子夫である中山成彬は
1962年にラサール高校をッ卒業し
1966年に東京大学法学部卒を卒業。
そして大蔵省に入省をしています。
中山恭子と中山成彬は
つまりは大蔵省の同期ということに。
その後中山恭子は1986年の
衆議院議員総選挙で初当選。
2004年には文部科学大臣に就任をし
2010年にはたちあがれ日本に、
2017年には希望の党に
中山恭子と共に参加をしています。
中山恭子とその夫、中山成彬の
馴れ初めなどについては
作家・小名木善行(ねずさん)が
ブログにて詳しく書かれています。
また、若い頃の二人の画像も。
小名木善行のブログ
「ねずさんのひとりごと」によると
中山恭子と夫、中山成彬の
馴れ初めは以下の通り。
中山恭子が大蔵省に入省した当時は
女性が国家公務員上級職として
入賞したのは珍しい時代。
そして中山恭子の同期や先輩や
誰が口説き落とすのかと話題に。
そんな中、中山恭子によると
「中山成彬が話しかけた」とのこと。
ただし中山成彬は
「中山恭子に突然話しかけられた」
とお互いの見解が何故か
食い違っていたとのこと。
参考:ねずさんのひとりごと
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■息子は財務省に勤務
中山恭子と中山成彬は
共に大蔵省の勤務であり
職場結婚という形に。
その後も2010年には立ち上がれ日本に
中山恭子は夫とともに参加をし
2017年にはやはり中山恭子は
夫と共に希望の党へ参加。
そんな中山恭子と夫、
中山成彬の間には
二人が出会った場でもある
財務省勤務の隆介という息子が
いることが明かされています。
実際に財務省の人事をみると
2016年6月2日付けで
中山隆介という人物が
以下のようになったと表記。
主税局総務課主税企画官
兼主税局総務課社会保障・
税一体改革調整室長兼主税局調査課
(大臣官房文書課企画調整室長
兼大臣官房文書課業務企画室長)
一切ひらがなの入らない役職。
■おわりに
中山恭子は現在、2017年9月に
日本のこころを離党した際に
代表を努めていた党支部の解散前日に
政党交付金およそ2億円を
同じ日に設立した政治団体に
移していたことが発覚。
実は解散した場合に交付金を
国に返すように
法は定まっているものの
直前に交付金を動かしても
違法ではないという。
中山恭子は政治団体について
「日本のこころの政治活動を
引き継ぐことを目的に設立」
「その資金として支部から寄付を受けた」
としています。
しかし中山恭子は現在は
希望の党に所属をしていて
日本のこころは議席を得られず、
交付金を受ける資格を
失ってしまっているために
交付金という趣旨には
反しているように見えます。