俳優、石黒賢の父親である石黒修。
日本プロテニス界のパイオニアとも呼ばれるほどの名選手です。
実は石黒賢が俳優としてデビューしたのも
父、石黒修がきっかけでした。
今回は石黒修と石黒賢について見てみましょう。
■石黒修について
(引用:http://sp.plus-blog.sportsnavi.com/tennistm/article/463?article_page=1)
名前:石黒修(いしぐろ おさむ)
生年月日:1936年8月12日
出身:長崎県長崎市
石黒修は中学一年の時にテニスを始めています。
その後は全日本ジュニア、インターハイ、インカレにも出場し
1961年にはデビスカップの代表に選ばれ
全日本選手権をシングルスとダブルスでそれぞれ三度制し
ウィンブルドンにも6年連続で出場しています。
1965年にはデビスカップ日本代表監督にも就任し
1971年には戦後初めて日本人のプロテニス選手となりました。
石黒修がテニスを始めた甲南中学には2つ上に
松岡修造の父、元デビスカップ代表の松岡功がいて
石黒修は松岡功のサーブやボレーを真似るなど
影響を強く受けていました。
石黒修は一線を退いてもテニスと関わりを持ち
日本テニス協会の評議委員、
日本プロテニス協会の副会長を努めつつも
2012年、76歳の頃にも週に4,5回はテニスクラブでプレーしており
全国大会で65歳以上の部にも出場続けるなど
生涯現役を貫いています。
息子の石黒賢もそんな父親を尊敬しており、
以下のように語っています。
「負けるのを嫌がってプレーしないのではなく
逃げずに挑戦し続けるところがカッコいいと思います」
■石黒賢が俳優になったきっかけ
そんな石黒賢が俳優になったのは
石黒修が、テニスの出来る男の子を探していたため
石黒賢を推薦したため。
そうして石黒賢は高校3年生の時に
TBSのテレビドラマ『青が散る』に主演し俳優デビュー。
実は石黒賢は子供の頃からテニスをしており
中学二年生の時にはと大会で
秋篠宮様と対戦したことがあります。
試合中に秋篠宮様がまだ前にいる時にロブが上がり
石黒賢はそこでスマッシュを打ったそう。
会場は秋篠宮様に当たったら…という緊張で一瞬静まり返り
幸いにも当たらなかったときは会場がとても沸いたという。
その時に「ナイスショットですね」と
声をかけられたのを覚えていると言います。
確かにそういう状況ですと
緊張するのは仕方ない…。
SPもいたそうですし。
■おわりに
石黒賢が秋篠宮様に負けた時に
石黒修に報告したらものすごく怒られたという。
危ないプレーをするんじゃない、ではなく
そういうときには勝つんだ、と。
石黒修は皇族の方々にテニスを教えていたとのことなので
そこで勝ってほしかったのかもしれません。
ちなみにずっと後、秋篠宮様は佐藤直子に
「僕は石黒賢さんに勝ったことがあるんですよ」とおっしゃっていたそう。
それを佐藤直子から聞かされた石黒賢は
覚えていてくれたことを嬉しい気持ちと
悔しい気持ちが少しあったと語っています。