眉村卓が肺炎でなくなる。食道ガンでリンパ節転移も…娘の村上知子が1778解説

芸能

「ねらわれた学園」などで有名なSF作家の眉村卓。そんな眉村卓が肺炎でなくなっていたことが明らかに。眉村卓は嫁を大腸がんでなくしており、眉村卓本人も食道がんが発覚。リンパ節に転移も…。

眉村卓の娘は、眉村卓が嫁のために書いた「妻に捧げた1778話」の文庫版で解説もしており、眉村卓の様子をちょくちょく見に行っていましたが…。

今回は眉村卓が現在肺炎でなくなったこと、嫁が大腸がんでなくなり「1778」を作ったこと、そして娘の村上知子がそれを解説していることなどについてみてみましょう。 

眉村卓が肺炎でなくなっていた

出典:ツイッター

名前眉村卓(まゆむら たく)
生年月日1943年10月20日
出身大阪府大阪市

眉村卓は2019年11月3日に誤嚥性肺炎のために大阪市の大阪鉄道病院でなくなりました。告別式は2019年11月9日、12時30分から大阪市阿倍野区のやすらぎ天空館にて。

眉村卓はもともと2012年には食道がんが判明して手術。2018年にはリンパ節転移の再発。放射線治療を受けつも執筆活動を継続していました。また、眉村卓は2017年には病気により体重が71から50と20キロほど落ちたとも告白。 

嫁の方がはやくなくなっていますが、実は眉村卓のほうが元々持病は多いとのこと。2016年に2回めの手術をし、2018年3月に再発したとのこと。

眉村卓の嫁は同級生で余命一年と言われ…

眉村卓の嫁である悦子さんは高校の同級生で24歳の時に結婚。しかし1997年6月に大腸がんであると告知。余命1年であると言われ、5年生存率はゼロだとも同時に申告をされてしまいます。

そんな眉村卓ですが嫁の為に何が出来るかを考え、せめて毎日気持ちが明るくなるような話を書いて嫁の闘病中に毎日1話ずつショートショートを書くことを決意。

もともと眉村卓の嫁は作家になることを応援してくれており、共働きであった時代も眉村卓が家事を手伝うよりも原稿を書くと喜んで期限が良くなるという、眉村卓の夢を応援してくれている人物。そのため眉村卓の作品の最初の読者は8割以上が嫁。しかし2002年5月28日、およそ5年間の闘病の末になくなってしまいます

そうして出来たのが「僕と妻の1778話 」。嫁のために書いた1778話のうち19話のショートショートを選んで闘病生活及び結婚生活を振り返るエッセイとあわせたもの。そして2011年には当時SMAPだった草なぎ剛主演で「僕と妻の1778の物語」として映画化。

また、眉村卓は2019年4月26日放送の「爆報!THEフライデー」に出演。この時に本には書かなかったものの実はギャンブルに明け暮れるなどして嫁をなくした事への喪失感を埋めていました。しかし嫁が葬式の時に「作家・眉村卓夫人」と看板に書いて欲しいと言っていたことなどで作品をひたすら制作。そうすると悲しみが消えていたとも告白。 

眉村卓の娘、村上知子が1778を解説

「1778」は2010年11月に文庫版が発売。この時に眉村卓の娘である村上知子が執筆時の裏話を収録し、解説をしています。また村上知子も実は2004年4月に「上海独酌」という本を出版。

村上知子は1963年に大阪で生まれ、立教大学文学部フランス文学科を卒業。そしてその後短歌を作成していて、旅行記の散文と短歌を組み合わせた作品。

また、村上知子は東京に住んでいるものの、月に1度、眉村卓の嫁の月命日前後に眉村卓の様子を見に行っているとのこと。ちなみに眉村卓が作品をまた書くようになったのは娘が尻を叩いたから。

眉村卓は一人暮らしであり、背中が痒くなった時にも手当してくれる人がいないので娘が帰ってきた時に手当をしてもらっているとも告白。そのようなこともあり眉村卓は「近頃はね、娘が守護神なんです」などと語ってもいました。 

眉村卓が無くなったことに関するネットの反応

眉村卓本人は嫁がなくなった後にはすでに覚悟をしており「そのうちそっちに行く」と嫁に言っていたのを毎日先延ばしにしているとのこと。また、眉村卓は誤嚥性肺炎でなくなっていますが、2018年のインタビューでは「転倒と誤嚥には気をつけて」と語ってもいました。

  • 眉村卓は答礼になってからも小説を書き続けた偉人
  • 中学生でもとても読みやすく面白い小説を書いてくれた
  • 今時分が趣味で小説を書いているのも眉村卓の小説を読み漁った経験があるから
  • 「なぞの転校生」は本に興味を持つきっかけになった著作だった
  • SF小説を広く認知させた功労者の一人だと思う
  • ショートショートにハマって星新一の作品と共に読んでいた
  • 日本SF全盛期を支えた作家がまた一人…

眉村卓は自分もがんであると発覚してからの近年は、「こんな年まで生きてるなんて思っても見なかった」「消えずに残ったシャボン玉みたいなもん」「長生きはもうけもんや」などとも語っていました。しかしそんななかでも、1778を書いたことが習慣になり、書いていないとサボっているような気持ちになるとも告白をしています。