二代目コロムビア・ローズである宗紀子(むねのりこ)が死去した事が明らかに。コロムビア・ローズは歴代で3人おり、初代とは長年に渡り親交がありました。
そんな二代目が8月に心不全で亡くなっていた事が2020年12月になって判明。二代目コロムビア・ローズの宗紀子は近年体調を崩していたとのことでした。[affi id=4]
二代目コロムビア・ローズの宗紀子が死去
出典:智恵子抄
二代目コロムビア・ローズである宗紀子の死去が明らかになったのは2020年12月8日。宗紀子は1975年にアメリカに渡って拠点を海外に移していました。しかし体調を崩して2015年の夏に帰国し闘病生活。その後も入退院を繰り返しており2020年8月16日、心不全で78歳で亡くなったと判明。
初代コロムビア・ローズは現在も親交があり二代目である宗紀子よりもおよそ10歳年上の87歳。そのために自分よりも若い宗紀子が先に亡くなるとは想像しておらずショックを隠しきれない様子です。
二代目としてのデビュー
宗紀子は初代コロムビア・ローズの引退の後3500人のオーディションを勝ち抜いき「白ばら紅ばら」でデビュー。そして智恵子抄をヒットさせ紅白歌合戦にも出場経験があります。宗紀子が二代目コロムビア・ローズとなったのは父親の死がきっかけ。
敬愛する父親の死で何もやる気が起きなかった宗紀子を見かねた友人が二代目募集オーディションに応募。そして初代コロムビア・ローズのレコードを一枚も持っておらず、譜面を本屋で買って覚えて受かったという剛の者。
また、二代目コロムビア・ローズの突然の渡米の理由は母親の死。二代目コロムビア・ローズとしての活動は母の喜ぶ顔が見たかったため。しかし母親が亡くなったことのでその目標もなくなってしまいます。
そうして日本を離れて自分を見つめ直そうという決意をしたことを宗紀子は告白。そうして1975年に拠点をアメリカ・ロサンゼルスに移したものの日本での仕事もあるため仕事の際は帰国をしていました。実際に2014年の第41回日本歌手協会音楽祭に宗紀子は二代目コロムビア・ローズとして出演も。[affi id=4]
初代も復帰をしていた
二代目も拠点を海外に移したこともあり初代コロムビア・ローズも1979年には復帰。2004年に三代目コロムビア・ローズも誕生しましたが三代目は2015年7月にレコード会社「日本コロムビア」から「日本クラウン」に移籍したので三代目コロムビア・ローズは野村未奈と改名をしました。
そのように二代目は拠点が海外、三代目は移籍に伴い改名をしたのでコロムビア・ローズとしては初代が一番メディアに出ていました。
2018年8月30日に初代コロムビア・ローズは徹子の部屋に出演。実は初めて会ったのは60年前でちょうど紅白の時期。この時に旦那はもともと初代のおっっかけであったものの既に亡くなっていること、歌っているときは嫌なことを忘れることが出来、自分は歌が無くては生きていけないと悟りこれからも歌っていくことを誓っていました。
また、2013年、80歳の頃の趣味はドライブで車庫入れもお手の物と元気でしたが2020年には高齢者の事故のニュースをみて免許返納をしたとのこと。
2代目コロムビア・ローズ死去まとめ
- 2代目コロムビア・ローズ(宗紀子)が2020年8月心不全で死去。
- 2代目になったきっかけは父親の死。
- 海外に拠点を移した理由は母親の死。
- 三代目は名前を変えて活動。
- 初代は現在もコロムビア・ローズとして活動。
- 初代は80歳の頃はドライブが趣味だった。
- しかし高齢者の事故が増えたので2020年になって免許返納。
2代目コロムビア・ローズは海外が拠点であるために公式の音源がYoutubeなどにはあまり残っていません。初代は現在も活動をしており、三代目は名前を変えたものの活動中なので音源は沢山あるのですが…。