天皇陛下の生前退位での有識者会議。
そのメンバーの一人に宮崎緑がいます。
宮崎緑の元夫は実は弁護士で
つい最近まで海外で逃亡生活を送っていました。
今回は宮崎緑の弁護士の元夫についてみてみましょう。
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■宮崎緑の元夫、椿康雄について
椿康雄は1987年に弁護士登録をして
1988年に宮崎緑と出会ってわずか二ヶ月で結婚。
1989年には男の子が生まれています。
しかしその後3年3ヶ月で
結婚生活は終りを迎え、離婚をしています。
宮崎緑が離婚をした理由としては
『彼はとにかくウソが多い』とのことでした。
しかし椿康雄は1991年には独立し2003年には
六本木ヒルズに法律事務所を構えて
10人もの弁護士を抱えるほどに急成長を遂げます。
■椿康雄が逃亡生活をした経緯
椿康雄は2005年後半に
東証マザーズ上場の検査装置メーカーである
オー・エイチ・ティー(OHT)の株価を
不正に釣り上げて巨額の利益を得た疑いがもたれています。
この件では20万円前後で推移していたものが
突如として150万になったもののしばらくすると暴落。
急騰するまえの20万円前後に戻り、
30近くの証券会社が合計で
およそ30億円もの損失を被ってしまいました。
そして暴落直後の2007年には逮捕状が出されますが
2007年5月に海外に逃亡をします。
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■椿康雄の逃亡生活
宮崎緑の元夫、椿康雄は
タイのバンコク付近で
若いタイ人の女性と暮らしていたという。
豪遊はしていなかったものの、
月30万円の高級マンションに住んでいたり
かなり悠々自適の生活を送っていたそう。
しかし2016年8月2日に
タイから強制送還されます。
実に9年も逃亡生活を
続けていたということに。
■おわりに
宮崎緑は元夫の椿康雄と離婚理由で
嘘が多い、として離婚をしていますが
その判断は結果として
正しかったということになりますね。