上田清司の嫁や娘、息子など家族エピ。参院補選で当選確実に!

埼玉県知事を4期連続でしていた上田清司(きよし)。任期満了で知事を退任し立候補をしませんでしたがその結果の参議院埼玉県選挙区補欠選挙へ無所属で立候補。

N国党の立花孝志を破り初当選しました。今回はそんな立花孝志の嫁や娘、息子などの家族エピソードについてみてみましょう。

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目次

上田清司の経歴など

出典:上田清司ツイッター

名前上田清司(うえだ きよし)
生年月日1948年5月15日
出身福岡県福岡市

上田清司は早稲田大学の大学院在学中の1976年に新自由クラブ立党に参画。1980年に第36回衆議院議員総選挙に新自由クラブ公認で出馬するも落選。1980年には自民党に入党。

1993年に自民党を離党し新生党の公認を受けて第40回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。2003年には埼玉県知事選挙に出馬をして当選。2019年8月30日までの合計4期当選をしたということになります。 

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上田清司の嫁や息子、娘など家族

上田清司は福岡県福岡市で生まれますがこれは母親の故郷。小学生の時に上田清司は父親の故郷である大牟田市に。母親は実は周船寺町生まれで実家は町長。

終戦後には豪農であり、母親の家は兵隊の食事の世話をしていてそこで父親と出会ったと明かしています。上田清司自身にも2歳ずつ違う兄と妹がおり3兄弟のまんなか。

父親は三井鉱山で勤務をしていたものの憲兵に。その後復帰できず商店街の会長になるも事業が失敗し父親の故郷である大牟田に。

上田清司の嫁は常子夫人で同郷であり柳川市の生まれ。常子夫人は兄1姉4の6人きょうだいの末っ子で実家は農家。のんびりしている性格であるとしています。

上田清司の子供は息子2人、娘1人。順番としては長男、長女、次男であるともしています。少なくとも2014年時点では娘は結婚して息子二人とは一緒に暮らしているとも明かしています。上田清司は娘や息子のエピソードについて以下のようなことをメルマガにて告白。

  • 支持者拡大運動の際には良く息子(長男)を乗せていた
  • 息子はついてくるのが好きだった
  • 娘は「後援者まわり」を「公園まわり」と間違えていた

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上田清司が初当選

上田清司は2019年6月13日に知事満了で知事を退任。その後参議院議員を辞職した大野元裕の応援をして大野元裕が埼玉県知事に。

そして大野元裕が議員辞職をしたことによる参議院議員選挙区補選に上田清司が出馬することを2019年9月20日に発表。実際に大野元裕が応援演説にも登場。

また、上田清司が出馬をする事を受けN国党首の立花孝志が参議院議員を失職する形でまさかの参戦。参戦理由はN国党の議員増を目指したと思われ、一体どうなるのかと話題になりましたが…。2019年10月27日、上田清司の当選が確実となりました。 

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上田清司の当選に関するネットの反応

上田清司は初当選して暫くの間は無所属で居ると宣言。とはいえずっと無所属であるとこだわりがあるわけではなく、限界を感じたら入ることも有り得るなどと発言。そんな上田清司の初当選に関するネットの反応はこちら。

  • 上田清司が当選だけど上田清司が良いわけでもない予想通りの結果
  • 20時丁度に当確出てたね
  • 立花孝志は結局どれだけ票が入ったんだろ
  • 保守もリベラルも支持って選挙なの?
  • 立花孝志は何故議員辞職してまで立候補したんだろう
  • 正直選択の余地がなかった
  • 立花孝志が立候補してたの初めて知ったわ

上田清司の初当選は確定路線だと思っていた人が多いよう。しかし上田清司と大野元裕のポスト交換のようなイメージも拭えないので選挙率はなんだか低そうな印象が…。 

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