おたく評論家の宅八郎が2020年現在死去している事が明らかに。色々とお騒がせな人物で逮捕歴もありましたがインパクトのある人物でした。
良くも悪くも破天荒で渋谷区長選に出馬をしたりハチロックというバンドを組んだりと破天荒ですがd精力的に行動をしていました。今回は宅八郎が死んだことが明かされた事についてみてみましょう。[affi id=4]
宅八郎が現在既に死去
出典:宅八郎公式サイト
宅八郎が2020年8月11日に死去していた事を明かしたのは編集者であり出版社「SLOCAN BOOKS」の代表である熊谷朋哉。死因は小脳出血で東京都府中市の病院で死去。
宅八郎は2010年8月にはライブ中に客席に飛び込んで右足を怪我。二週間ほど経過しても整骨整体院に通うなど怪我が長引いていました。
また、熊谷朋哉と宅八郎との交流は2013年発売の書籍「中西俊夫/プラスチックスの上昇と下降、そしてメロンの理力」でのつながり。
今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせる選曲とトラックメイキングを見せる一面もありました。
— 熊谷朋哉 (@tomoyakumagai) December 3, 2020
テクノポップバンド・プラスチックス中西俊夫の自伝ですが宅八郎はっプラスチックスの大ファンであったこともあり、この本の注釈を担当。また、中西俊夫は2016年9月に食道がんの第3ステージであることを公表し2017年2月に61歳の若さで亡くなりました。
実は宅八郎自身もロックバンド「ハチロック」でボーカル、作詞作曲を担当して活動をしており既に暫く前に更新は挺身しているものの、ライブの様子などをブログにて公開。ちなみに宅八郎はメカヤクザという名義でDJとしても活動。
2007年に渋谷区長選に出馬
宅八郎はおたく評論家としてテレビに出演。森高千里のフィギュアとマジックハンド、それに加えて紙袋をもつというオタクを演じて「元気が出るテレビ」や「生ダラ」のバラエティ番組など多くの媒体に出演。
あくまでも演じてダサい格好をしていたわけであり、ステレオタイプなオタク像というかは微妙なライン。正直マジックハンドを持っているおたくなんてキャラを作っていた宅八郎以外見たことないですし。
そんな宅八郎は2007年4月に突如として渋谷区長選に電撃出馬。「萌える街にしたい」などとある意味狂った公約を掲げ、絶対当選する気ないだろと囁かれていました。宅八郎のマニフェストは以下の通りです。
- 【0】3つの基本方針
- 【1】120億円のハコモノ建設を中止
- 【2】区長にムダづかい40億円の賠償・返還を請求
- 【3】2兆円の巨大再開発を中止
- 【4】東京23区で1番高い人件費を削減
- 【5】区長の退職金1億円を廃止・返上
- 【6】聖域なき改革。脱・役人天国
- 【7】情報”全開”宣言!超透明な行政を実現
- 【8】妥協なき区議会改革
- 【9】東京から独立!「区民くらし満足度世界一」を実現
- 【10】福祉の充実、少子化対策を!
- 【11】多様性の尊重、虹色の社会を!
- 【12】「環境最先端都市」構想
- 【13】コンクリートから木造革命へ
- 【14】欧州流の美しい景観を!
- 【15】安心して遊べる繁華街
- 【16】震災対応力アップ、倒壊建物ゼロ
- 【17】平和都市・渋谷
- 【18】「お笑い特区」構想
- 【19】世界エイズ会議を渋谷で
一応マニフェストについては19の改革宣言と語っています。0番である3つの基本方針は「税金の無駄遣いをなくす」「区政の情報を全公開し超透明を実現」「税金は暮らし・福祉に優先」と言ったもの。[affi id=4]
宅八郎は逮捕も経験
宅八郎は1994年11月2日に道路交通法違反で逮捕。これはその年の7月22日に自宅から乗用車で駐車場を出る際に隣の車をこすりそのまま走り去ったという疑いでした。
ただし宅八郎本人はこの事を別件逮捕だと主張。理由は宅八郎と友好ではない関係にあった人物とトラブルがあったためであるという事。宅八郎は論争する相手に過激な攻撃をするため恨みをとかく買いがち。SNS社会の今だったら絶対炎上します、間違いない。
また、逮捕まではいかなかったものの2009年3月には宅八郎は知人の音楽評論家の男性にmixi上で「処刑宣告」などを書き込んだ疑いで脅迫容疑で10月23日に書類送検。ただしこれは2010年3月31日に起訴猶予処分。
事の経緯は知人男性がWebサイトにて2007年5月に投稿した記事。宅八郎が2009年初春にたまたま検索をして知人がかいた記事を発見。記事内にアキバ系のステレオ対応として宅八郎の名前が上がっていた事に気づきます。
宅八郎は男性がその記事を書く前に知り合っていて食事やイベントでの共演経験もあるものの「記事について事前に知らされていなかった」「秋葉系の定義が間違ってるという印象を受けた」という2点で正すべきと判断し連絡。しかし返信に納得もいかず、当該記事を削除したことで「書き逃げじゃないか」と怒りを覚えたとの事。
2010年代もテレビにたまに出演
宅八郎は実は2010年代もテレビに時たま出演し現在何をしているか近況を語っていました。2010年12月26日放送の「大追跡!あのニュースの続き」では宅八郎が生活が厳しかったためにホストをしていた事、現在の主な活動は執筆活動やクラブDJなどであると告白。
その少し後に放送された2010年12月30日放送の「朝までたけし軍団」では「消えた有名人の驚くべき不正受給の実態!」というコーナーに出演。ただし特に不正受給をしているという事はなし。そして2012年2月12日には「金曜7時はザ・追跡スクープ劇場」であの人は今状態で追跡。
当時49歳であった宅八郎は秋葉原の「Little BSD」にいて「当時はオタクキャラを演出するためにダサい服に着替えてた」という事を改めて告白をしていました。他にも2010年8月にサンデージャポンに出演などもしておりちょちょくテレビで見る顔では有りました。まさかその宅八郎が死去しておりそれがかなりの時間差で発覚するとは…。